ロボローズウォーターを知っていますか(前編)
2016年4月21日 Magic: The Gathering
少し前にGoogleのエンジニアが開発した絵を描くAIが話題になりましたが、これにも使われていたニューラルネットワークと呼ばれる情報処理システムでAIにマジックのカードを作らせようという試みが存在します。@RoboRosewaterというTwitterアカウントがそれで、そこには2015年の7月からAIがデザインしたカードが投稿され続けています。
IT関係の素養が全くないのではたしてこのAIが人間並みに成長していくのかどうかはよくわからないのですが、現状の「ほどよい頭の悪さ」ゆえに人間には作れない興味深いカードをデザインしていると思うので、このロボローズウォーター(と、それがデザインしたカード)について書いてみようと思います。
この記事を書くにあたって先行する日本語記事を探してみたところ、それらしいものが全然見当たらなかったので、前編ではひとまずこのAI誕生の経緯が詳しく載っている海外サイトの記事を翻訳しておきます。誤訳や誤字、コンピュータ用語の間違いなどありましたら指摘していただければ幸いです。
ニューラルネットワークがカードをデザインするという笑える話
Ed Grabianowski
あなたが今まで作られたマジックのカードのテキストを深層ニューラルネットワークに与えて、それにカードを作ってくれるよう頼むとき、何が起こるだろうか? ある部分は天才的で、またある部分は意味不明——そしておそらく少しだけ詩的だ。しかし大抵の場合、それはあなたを死ぬほど笑わせてくれる。
ニューラルネットワークのプロジェクトは(訳注:2015年の)6月上旬に、Talcoと名乗るユーザーがMTGSalvationのフォーラム※1にこのようなことを投稿して始まった。
AIが創造したカードの中には、もしあなたがほんの少しでもマジックのルールを知っていればよりいっそう笑えるものもある。だが、いくつかのものは単純なばかげたワードサラダ(訳注:コンピュータによって自動生成された支離滅裂な文章のこと)の積み重ねだ。例を挙げよう。
それらのカードにはマジックのルール内で適切に機能するが、完全にナンセンスなことをするものもある。こんな能力を持ったカードのように。
(3),:あなたのマナ・プールに(2)を加える。
たとえあなたがマジックについて何も知らないとしても、何か三つを支払って全く同じものを二つ得るというのがひどい仕打ちであることは理解できるだろう。
しかし、TwitterアカウントがAIのデザインを視覚化し始めたとき、事態は本当に興味深いものになった。Twitterのハンドルネーム@RoboRosewater※4(現在のR&Dのトップである人物、マーク・ローズウォーターにちなんでいて、彼自身AIについてのジョークを述べている)を使用して、毎日新しいカードを投稿している。中には素晴らしいものもある。
私たちは《タルモゴイフ/Tarmogoyf》のために、《Tark’s Flowstork》を両方のカード・タイプとしてカウントするようルールを変更する必要がある。
いくつかのカードはボノとロニー・ジェイムス・ディオが共作した歌のような響きを持っている。
「エェェェェェェンジェルゥゥゥゥゥゥデザァァァァァァァイヤァァァァァァア」
「気をつけろ! コウモリ・ウィザードだ!」
わずかながら本当によいマジックのカードもある。たぶんよすぎるカードもある。何が言いたいのかというと、モインテンスポークはよくはないが、素晴らしくよいということだ。
待ってくれ、「ホール・苗木」だって?(訳注:Thallidの一部?)
ときおりAIが私たちを明らかに引っ掛けようとしていることがある。このカードのテキストの最後を慎重に読むように。
ときには単に失敗する。
ソース……http://io9.gizmodo.com/a-neural-network-designs-magic-the-gathering-cards-an-1719184054(A Neural Network Designs Magic: the Gathering Cards, and It’s Hilarious)
※1……http://www.mtgsalvation.com/forums/creativity/custom-card-creation/612057-generating-magic-cards-using-deep-recurrent-neural
※2……http://karpathy.github.io/2015/05/21/rnn-effectiveness/
※3……http://mtgjson.com/
※4……https://twitter.com/RoboRosewater
(後編に続く)
IT関係の素養が全くないのではたしてこのAIが人間並みに成長していくのかどうかはよくわからないのですが、現状の「ほどよい頭の悪さ」ゆえに人間には作れない興味深いカードをデザインしていると思うので、このロボローズウォーター(と、それがデザインしたカード)について書いてみようと思います。
この記事を書くにあたって先行する日本語記事を探してみたところ、それらしいものが全然見当たらなかったので、前編ではひとまずこのAI誕生の経緯が詳しく載っている海外サイトの記事を翻訳しておきます。誤訳や誤字、コンピュータ用語の間違いなどありましたら指摘していただければ幸いです。
ニューラルネットワークがカードをデザインするという笑える話
Ed Grabianowski
あなたが今まで作られたマジックのカードのテキストを深層ニューラルネットワークに与えて、それにカードを作ってくれるよう頼むとき、何が起こるだろうか? ある部分は天才的で、またある部分は意味不明——そしておそらく少しだけ詩的だ。しかし大抵の場合、それはあなたを死ぬほど笑わせてくれる。
ニューラルネットワークのプロジェクトは(訳注:2015年の)6月上旬に、Talcoと名乗るユーザーがMTGSalvationのフォーラム※1にこのようなことを投稿して始まった。
私は、深層ニューラルネットワークを等級審査や問題解決処理のために使用することについて研究してきたコンピュータサイエンス博士候補の研究者です。私は任意のデータから新規配列を作成するようニューラルネットワークに訓練させることについての面白い論文を読みました。たとえば、あなたがネットワークにシェイクスピアを何度も何度も読ませると、最終的にはニューラルネットワーク自身がシェイクスピアのスタイルで文章を書くことができるようになるのです。それを見て私はこう思いました。「ちょっと待て、それならシェイクスピアの代わりにマジックのカードならどうだろうか?」そこで、そのソースコード※2とマジックのカードのJSONコーパス※3をダウンロードしました。何か新しいカードを作れるようになることを期待して、私は今まで作られたすべてのマジックのカードを深層ニューラルネットワークに与えようと思います。
AIが創造したカードの中には、もしあなたがほんの少しでもマジックのルールを知っていればよりいっそう笑えるものもある。だが、いくつかのものは単純なばかげたワードサラダ(訳注:コンピュータによって自動生成された支離滅裂な文章のこと)の積み重ねだ。例を挙げよう。
Slidshocking Krow (青)
クリーチャー — ドラゴン
トロンプル(Tromple)、モインテンスポーク(Mointainspalk)
4/2
それらのカードにはマジックのルール内で適切に機能するが、完全にナンセンスなことをするものもある。こんな能力を持ったカードのように。
(3),:あなたのマナ・プールに(2)を加える。
たとえあなたがマジックについて何も知らないとしても、何か三つを支払って全く同じものを二つ得るというのがひどい仕打ちであることは理解できるだろう。
しかし、TwitterアカウントがAIのデザインを視覚化し始めたとき、事態は本当に興味深いものになった。Twitterのハンドルネーム@RoboRosewater※4(現在のR&Dのトップである人物、マーク・ローズウォーターにちなんでいて、彼自身AIについてのジョークを述べている)を使用して、毎日新しいカードを投稿している。中には素晴らしいものもある。
Tark’s Flowstork (白)(青)(青)(黒)
インスタント
Tark’s Flowstorkはソーサリーを唱えられるときにのみ唱えられる。
私たちは《タルモゴイフ/Tarmogoyf》のために、《Tark’s Flowstork》を両方のカード・タイプとしてカウントするようルールを変更する必要がある。
Angel Desire (青)
クリーチャー — コウモリ・ウィザード
Angel Desireが戦場に出たとき、あなたのライフが10点以下である場合、飛行を持つ緑の1/1の猫・クレリック・クリーチャー・トークンを2体戦場に出す。
1/1
いくつかのカードはボノとロニー・ジェイムス・ディオが共作した歌のような響きを持っている。
「エェェェェェェンジェルゥゥゥゥゥゥデザァァァァァァァイヤァァァァァァア」
「気をつけろ! コウモリ・ウィザードだ!」
Impetufle Randor (2)(青)(青)
クリーチャー — ドワーフ・兵士
飛行、速攻
Impetufle Randorが死亡したとき、2/2のホール(hall)・苗木・クリーチャー・トークンを1体戦場に出す。そうしたなら、カードを1枚引く。
2/3
わずかながら本当によいマジックのカードもある。たぶんよすぎるカードもある。何が言いたいのかというと、モインテンスポークはよくはないが、素晴らしくよいということだ。
待ってくれ、「ホール・苗木」だって?(訳注:Thallidの一部?)
Yiving Citemester (黒)
クリーチャー — 人間・スカウト
トランプル
(1)(青)(黒):Yiving Citemesterをアンタップする。
Yiving Citemesterが戦場からあなたの墓地に置かれたとき、あなたのライブラリーの一番上のカードを見る。その後あなたのライブラリーを切り直す。
1/1
ときおりAIが私たちを明らかに引っ掛けようとしていることがある。このカードのテキストの最後を慎重に読むように。
Exgo the Rickers (2)(青)(青)
伝説のクリーチャー — ドラゴン
Horshers(クリーチャー1体が墓地に置かれたあなたが唱えるたび、クリーチャー1体かプレイヤー1人を対象とする。それはこのターン6点のダメージを与える。この能力はそれがアーティファクト1つにつきあなたのマナ・プールに共通の色を持つ望む数のクリーチャーをブロックできるときにのみ起動できる。)
2/2
ときには単に失敗する。
ソース……http://io9.gizmodo.com/a-neural-network-designs-magic-the-gathering-cards-an-1719184054(A Neural Network Designs Magic: the Gathering Cards, and It’s Hilarious)
※1……http://www.mtgsalvation.com/forums/creativity/custom-card-creation/612057-generating-magic-cards-using-deep-recurrent-neural
※2……http://karpathy.github.io/2015/05/21/rnn-effectiveness/
※3……http://mtgjson.com/
※4……https://twitter.com/RoboRosewater
(後編に続く)
脆弱性——リスクのある投資先
この追放領域の機能は、前回のポストで述べた暫定性の延長線上にある。多くの場合、こうした能力はまず何らかのリソースを賭け金として追放させ、一定期間を経て利子をつけて返す。デザイン上の大きな違いは、追放領域のカードの使用に対する制限となるのが時間の短さではなくてパーマネントと追放領域の脆弱性であるという点だろう。《飛翔艦ウェザーライト/Skyship Weatherlight》の場合、多くのリソースを得るためには多くのカードを追放する必要があるが、何らかの理由で戦場を離れると追放したカードは二度と戻らない。プレイヤーが損益分岐点について頭を悩ませるという意味で、この種のカードは投資によく似ている。
さて、追放領域の脆弱性を利用したデザインは少々難しい。なぜなら、対戦相手のライブラリーを賭け金として追放した場合にはデメリットとして機能せず、自分のライブラリーを賭け金として追放した場合にはデメリットにはなるものの昇華者とのシナジーを形成しないからだ。
結局のところ、このデザインでは両方のプレイヤーのライブラリーを追放することで脆弱性のデザインと昇華者とのシナジーの両立を図った。その副作用として、昇華者との相互作用が難しいと思われたはずの能力が一転して昇華者の効果を増大させるものに変化したことはたいへん興味深い。
参照性——記録や引用元
暫定性の項でも述べた通り、カードデザインで追放領域を扱うことの利点は、追放したカードと追放されたカードの間の結びつきを明瞭にできるということだ。すなわちそれは追放領域の情報を容易に参照可能だということであり、しばしば《魂の鋳造所/Soul Foundry》のような高い可変性のあるデザインに用いられる。
《映し身人形/Duplicant》は、それがアーティファクトであることを除けばきわめてBFZのエルドラージ的なカードだ。昇華者とのシナジーを期待するにはあまりにも重すぎるものの、メカニズム的にもフレイバー的にもほぼエルドラージ版《ネクラタル/Nekrataal》と言って問題ないだろう。このことからもわかるように、参照性を用いたデザインでは刻印をはじめとした過去の豊富なデザイン的遺産との対話が必要不可欠となる。エルドラージがそれらの単なる焼き直しにならないよう、デザイナーは参照性を用いたメカニズムの新たな切り口を探さなければならない。
これはマナ・コストの合計を参照し、それが奇数か偶数かによってサイズが変化する《氷の中の存在/Thing in the Ice》だ。おそらく対戦相手はパワーが0以下になるまでライブラリーを追放するため、多くの場合小さい《浮遊障壁/Hover Barrier》として戦場に出ることになるが、昇華者を用いて追放したカードの合計を奇数にすることで、失われた規格外のパワーを取り戻すことができる。
《虚空の選別者/Void Winnower》についてのマローのコメント※によると、初期のエルドラージのデザインでは奇数がテーマになっていたらしい。しかし、その生き残りである《虚空の選別者/Void Winnower》はメルヴィンたちを大いに熱狂させはしたものの、似たようなメカニズムのエルドラージのあまりの少なさからBFZのカードリストの中では若干浮いた存在でもあった。複雑さを考えると大量のバリエーションを作ることができる能力ではないが、サイクルを形成するカードがほんの数枚でもあれば、エルドラージのサブテーマとして奇数を印象づけられたかもしれない。
※……http://mtg-jp.com/reading/translated/mm/0015764/(戦乱のゼンディカード その2/Battle for Zendikards, Part 2)
補遺——分類不能なもの
ここまで、マジックの長い歴史に点在する無色と追放領域の間のデザインスペースを探ってきたが、当然ながらすべてを網羅できたわけではない。分類というのは本質的に恣意的な作業であり、明確に分けようとすればするほど多くを取りこぼすのは必然だ。そこでこのポストの締めくくりでは、それら分類しきれなかったものの中から際立って特徴的なカードを挙げ、それらをもとにした欠色カードを示して終わりたい。それでは、いつか昇華者の話をする機会があることを願って。
飛翔艦ウェザーライト/Skyship Weatherlight (4)
伝説のアーティファクト PLS, レア
飛翔艦ウェザーライトが戦場に出たとき、あなたのライブラリーから好きな数のアーティファクト・カードとクリーチャー・カードの組み合わせを探し、それらを追放する。その後あなたのライブラリーを切り直す。
(4),(T):飛翔艦ウェザーライトによって追放されたカードの中から、カードを1枚無作為に選ぶ。そのカードをオーナーの手札に加える。
瓶詰めの回廊/Bottled Cloister (4)
アーティファクト RAV, レア
各対戦相手のアップキープの開始時に、あなたの手札のカードをすべて裏向きで追放する。
あなたのアップキープの開始時に、瓶詰めの回廊によって追放された、あなたがオーナーであるすべてのカードをあなたの手札に戻し、その後カードを1枚引く。
この追放領域の機能は、前回のポストで述べた暫定性の延長線上にある。多くの場合、こうした能力はまず何らかのリソースを賭け金として追放させ、一定期間を経て利子をつけて返す。デザイン上の大きな違いは、追放領域のカードの使用に対する制限となるのが時間の短さではなくてパーマネントと追放領域の脆弱性であるという点だろう。《飛翔艦ウェザーライト/Skyship Weatherlight》の場合、多くのリソースを得るためには多くのカードを追放する必要があるが、何らかの理由で戦場を離れると追放したカードは二度と戻らない。プレイヤーが損益分岐点について頭を悩ませるという意味で、この種のカードは投資によく似ている。
さて、追放領域の脆弱性を利用したデザインは少々難しい。なぜなら、対戦相手のライブラリーを賭け金として追放した場合にはデメリットとして機能せず、自分のライブラリーを賭け金として追放した場合にはデメリットにはなるものの昇華者とのシナジーを形成しないからだ。
[カード名] (2)(黒)
クリーチャー ― エルドラージ・ドローン
欠色
[カード名]が戦場に出たとき、対戦相手1人を対象とする。そのプレイヤーは自分のライブラリーの一番上のカードを追放する。あなたはあなたのライブラリーから無色のカードを1枚探してもよい。そうしたなら、それを追放し、その後あなたのライブラリーを切り直す。
[カード名]によって追放された対戦相手がオーナーであるカードが追放領域を離れたとき、あなたは[カード名]によって追放されたあなたがオーナーであるカードをあなたの手札に加えてもよい。
3/1
結局のところ、このデザインでは両方のプレイヤーのライブラリーを追放することで脆弱性のデザインと昇華者とのシナジーの両立を図った。その副作用として、昇華者との相互作用が難しいと思われたはずの能力が一転して昇華者の効果を増大させるものに変化したことはたいへん興味深い。
参照性——記録や引用元
魂の鋳造所/Soul Foundry (4)
アーティファクト MRD, レア
刻印 ― 魂の鋳造所が戦場に出たとき、あなたの手札のクリーチャー・カード1枚を追放してもよい。
(X),(T):その追放されたカードのコピーであるトークンを1体戦場に出す。Xはそのカードの点数で見たマナ・コストである。
映し身人形/Duplicant (6)
アーティファクト・クリーチャー ― 多相の戦士 MRD, レア
刻印 ― 映し身人形が戦場に出たとき、トークンでないクリーチャー1体を対象とする。あなたはそれを追放してもよい。
映し身人形によって追放されているカードがクリーチャー・カードであるかぎり、映し身人形はそれによって最後に追放されたクリーチャー・カードのパワー、タフネス、クリーチャー・タイプを持つ。それは多相の戦士でもある。
2/4
最後の河童の甲羅/Shell of the Last Kappa (3)
伝説のアーティファクト CHK, レア
(3),(T):あなたを対象とするインスタント呪文1つかソーサリー呪文1つを対象とし、それを追放する。(その呪文は効果が無い。)
(3),(T),最後の河童の甲羅を生け贄に捧げる:あなたは、最後の河童の甲羅によって追放されたカード1枚を、そのマナ・コストを支払うことなく唱えてもよい。
暫定性の項でも述べた通り、カードデザインで追放領域を扱うことの利点は、追放したカードと追放されたカードの間の結びつきを明瞭にできるということだ。すなわちそれは追放領域の情報を容易に参照可能だということであり、しばしば《魂の鋳造所/Soul Foundry》のような高い可変性のあるデザインに用いられる。
《映し身人形/Duplicant》は、それがアーティファクトであることを除けばきわめてBFZのエルドラージ的なカードだ。昇華者とのシナジーを期待するにはあまりにも重すぎるものの、メカニズム的にもフレイバー的にもほぼエルドラージ版《ネクラタル/Nekrataal》と言って問題ないだろう。このことからもわかるように、参照性を用いたデザインでは刻印をはじめとした過去の豊富なデザイン的遺産との対話が必要不可欠となる。エルドラージがそれらの単なる焼き直しにならないよう、デザイナーは参照性を用いたメカニズムの新たな切り口を探さなければならない。
[カード名] (3)(青)
クリーチャー ― エルドラージ・ドローン
欠色
飛行
[カード名]が戦場に出たとき、対戦相手1人を対象とする。そのプレイヤーは自分のライブラリーの一番上のカードを追放してもよい。その対戦相手は、この手順を望む回数だけ繰り返してもよい。
Xが偶数であるかぎり、[カード名]は-X/-0の修整を受ける。Xは[カード名]によって追放されたカードの点数で見たマナ・コストの合計である。(0は偶数である。)
5/5
これはマナ・コストの合計を参照し、それが奇数か偶数かによってサイズが変化する《氷の中の存在/Thing in the Ice》だ。おそらく対戦相手はパワーが0以下になるまでライブラリーを追放するため、多くの場合小さい《浮遊障壁/Hover Barrier》として戦場に出ることになるが、昇華者を用いて追放したカードの合計を奇数にすることで、失われた規格外のパワーを取り戻すことができる。
《虚空の選別者/Void Winnower》についてのマローのコメント※によると、初期のエルドラージのデザインでは奇数がテーマになっていたらしい。しかし、その生き残りである《虚空の選別者/Void Winnower》はメルヴィンたちを大いに熱狂させはしたものの、似たようなメカニズムのエルドラージのあまりの少なさからBFZのカードリストの中では若干浮いた存在でもあった。複雑さを考えると大量のバリエーションを作ることができる能力ではないが、サイクルを形成するカードがほんの数枚でもあれば、エルドラージのサブテーマとして奇数を印象づけられたかもしれない。
※……http://mtg-jp.com/reading/translated/mm/0015764/(戦乱のゼンディカード その2/Battle for Zendikards, Part 2)
補遺——分類不能なもの
ここまで、マジックの長い歴史に点在する無色と追放領域の間のデザインスペースを探ってきたが、当然ながらすべてを網羅できたわけではない。分類というのは本質的に恣意的な作業であり、明確に分けようとすればするほど多くを取りこぼすのは必然だ。そこでこのポストの締めくくりでは、それら分類しきれなかったものの中から際立って特徴的なカードを挙げ、それらをもとにした欠色カードを示して終わりたい。それでは、いつか昇華者の話をする機会があることを願って。
崩れゆく聖域/Crumbling Sanctuary (5)
アーティファクト MMQ, レア
プレイヤー1人にダメージが与えられる場合、代わりにそのプレイヤーは自分のライブラリーのカードを一番上から同じ枚数だけ追放する。
[カード名] (1)(白)
クリーチャー ― エルドラージ・ドローン
欠色
[カード名]を生け贄に捧げる:このターン、プレイヤー1人にダメージが与えられる場合、代わりにそのプレイヤーは自分のライブラリーのカードを一番上から同じ枚数だけ追放する。
2/2
無限の日時計/Sundial of the Infinite (2)
アーティファクト M12, レア
(1),(T):ターンを終了する。この能力は、あなたのターンの間にのみ起動できる。(スタック上のすべての呪文と能力を追放する。あなたの手札の枚数の最大値になるまで手札を捨てる。ダメージは取り除かれ、「このターン」と「ターン終了時まで」の効果は終了する。)
[カード名] (2)(青)
クリーチャー ― エルドラージ・ドローン
欠色
瞬速
[カード名]が戦場に出たとき、あなたのターンであるなら、ターンを終了する。(スタック上のすべての呪文と能力を追放する。あなたの手札の枚数の最大値になるまで手札を捨てる。ダメージは取り除かれ、「このターン」と「ターン終了時まで」の効果は終了する。)
2/2
はじめに
以前のポスト※で、私はカードセットとしての戦乱のゼンディカーのエルドラージのデザインについて、メカニズム的美しさが欠けていると評した。私の考えでは、R&Dは嚥下のような場当たり的なメカニズムを作るのではなく、無色と追放領域というテーマの可能性をもっと掘り下げるべきだったと思う。もちろんマジックの歴史において無色と追放領域の間に強い結びつきがあったとは言えないが、詳しく見ていくとそこにわずかながらデザイン空間が広がっていることがわかる。
したがってここではそれをいくつかの機能ごとに分類し、それぞれの空間でどのようなデザインが可能なのか検証していくことにしよう。必然的なこととして、途中に私の妄想にすぎないアイデアが出てくるが、苦手な方は読み飛ばしていただいて構わない。図々しく感じられるかもしれないが、思いついたことは吐き出さないと気が済まない性分なため大目に見ていただければ幸いだ。
※……http://casualmtg.diarynote.jp/201602271838453600/およびhttp://casualmtg.diarynote.jp/201603010330169840/
不可逆性——戻ってくることのない場所
追放領域の最も基本的な役割は、言うまでもなく最も再利用困難な領域だということだろう。基本セット2010での変更によって追放領域はゲームの外部から分断され、その傾向はいっそう強まることになった(もう《狡猾な願い/Cunning Wish》で使用済みの《狡猾な願い/Cunning Wish》を持ってくることはできない!)。追放領域のこの機能は、単体除去をはじめ、特定の領域のカードを使用不可能にする、リソースが繰り返し使われるのを防ぐといった様々な用途に使われている。
BFZにおいては、追放領域の不可逆性は《完全無視/Complete Disregard》や《虚空の接触/Touch of the Void》といったカードによって多数実装されている。強いて言えば、無意味な追放能力である嚥下をセットから取り除く代わりに、《屑山の人形/Heap Doll》のような、盤面に影響を与えないが無意味なわけでもない追放能力を持つカードを増やす必要があるだろう。仮にそうした場合、BFZのエルドラージたちは単純な攻撃性に加えて新たに緩い妨害能力を持つことになる。
もっとも、OGW発売前のモダン環境を思い返せば、黒単エルドラージには昇華者のための《大祖始の遺産/Relic of Progenitus》や《虚無の呪文爆弾/Nihil Spellbomb》が大量に採用されていたのであり、妨害と強力なクロックの組み合わせはエルドラージのサブテーマとして現実に即したものなのではないかと思う。
暫定性——一時的保管場所
改めて考えると不思議なことだが、カードを永久に使えなくするという基本の性質とは反対に、カードを一時的に消滅させる効果にも追放領域が頻繁に用いられる。もちろん、この手の行為を追放領域を使わずに実装したカードもあるにはある(《森の知恵/Sylvan Library》や《死の国からの救出/Rescue from the Underworld》など)が、それらと比較しても追放領域の利便性は抜きん出ている。
そもそもあるカードが追放領域以外に移動した場合、それを再び元の領域に戻すためには同じ領域の他のカードと混ざらないように管理せねばならず、ゲームプレイ上の困難が伴う。《Tawnos’s Coffin》のような暫定除去を使用する際にプレイヤーはよく追放されたカードを下に重ねて管理するが、これも基本的に公開情報であり、置き場所が不定で、出入りが少ないという追放領域の特性ゆえに可能なことだ。
ところで、戦乱のゼンディカー・ブロックを通じて白い欠色カードは唯一《変位エルドラージ/Eldrazi Displacer》のみだったが、このカードのデザインもまた(追放領域のカードは増えないものの)追放領域の暫定的利用にあたる。いわゆる《忘却の輪/Oblivion Ring》能力を含めた明滅効果は白にも無色にも頻出するカードであり、私にはなぜR&Dが《停滞の罠/Stasis Snare》を欠色を持つエルドラージ側のカードとしてデザインしなかったのか不思議でならない。
無色のカードによる追放領域の暫定的利用のもうひとつの例は、《エルキンの壷/Elkin Bottle》能力だ。この能力は追放されたカードに有効期限を設定し、一時的にリソースとして活用できるようにするもので、一定期間を過ぎると使用不能になる。《エルキンの壷/Elkin Bottle》のようにプレイヤーに恩恵をもたらすデザインになることもあれば、ごくまれに《姥の仮面/Uba Mask》のように行動を制限する目的でデザインされることもある。
こうした追放領域を使って一時的にリソースを増やす能力は今日において赤のカラー・パイに割り当てられ、ほとんど毎ブロックで見かけるようになってきた。しかし幸いかBFZには存在していないため、この能力を嚥下の代わりの新たなカードの一群に加えることもできるだろう。ただしその場合、昇華者のために対戦相手のカードを追放するよう少々異なった処理にする必要がある。
あなたは対戦相手のライブラリーを追放し、それを好きな色の(もしくは無色の)マナでプレイすることができる。《メレティスのダクソス/Daxos of Meletis》のような記述にしなかったのは土地をプレイできるようにするためでもあるが、対戦相手のカードをあたかも無色のカードであるかのように変更してしまうという挙動が欠色呪文にふさわしいと考えたからでもある。
白には白、青には青のマナ・シンボルがあるように、OGWでは新たに無色のマナ・シンボルが生み出された。しかしその反面、BFZの無色要素は必然性を欠くものになってしまったように思われる。今になって考えると、このメカニズム上の不均一さを改善するためにR&DはBFZで無色のマナ・コストの別な側面を掘り下げる必要があったのかもしれない。もちろんかつての烈日のようなデザインは(収斂があるために)避けるべきだが、ここにはまだ未開拓のデザイン的資源が眠っていると私は確信している。
また、《エルキンの壷/Elkin Bottle》能力にはまだ印刷されていない利用価値がある。それは追放されたカードを手札に見立てて手札関連の能力を書き直すというもので、手札に戻す、手札に加えるといったありふれた能力を追放を用いてエルドラージ的にすることができる。
このテキストは全く青らしくないにもかかわらず、カード全体としては風変わりな《大クラゲ/Man-o’-War》そのものだ。ただし、追放を用いたテキストに改められたことで、このカードが戦場に残っていなければ除去されたクリーチャーを出し直すことができなくなった。
この能力はこのカードに一種の除去耐性を与えているが、全く反対にわざと戦場を離れさせることによって劇的な効果を得ることもできる。昇華者との相性は言うまでもなく、BFZのエルドラージのデザインにとって追放領域の暫定性はこれ以上ないデザイン的資源だといえる。
とはいえ、マローが言う新世界秩序を考慮すると《エルキンの壷/Elkin Bottle》能力は新規のプレイヤーにとって少々複雑すぎるかもしれない。特にターン終了時までの継続的効果なのか、パーマネントの常在型能力なのかといった些細な(しかし重要な)違いは、こうした効果を初めて見るプレイヤーを大いに戸惑わせる恐れがある。
しかし、そのようなマーケティング上の問題を考慮しないのであれば、この能力はエルドラージのデザインにとってきわめて有用な資源となるはずだ。暫定性のデザインは、往々にして強力になりすぎる追放能力を適切なパワー・レベルにまで引き下げたものであり、嚥下のような無意味な能力と《剣を鍬に/Swords to Plowshares》のような過剰な能力との間に無限のグラデーションを作ることを可能にする。デザイナーはこれによって昇華者のための追放能力を低いマナ域やレアリティに作ることができるようになり、結果としてリミテッド環境のデベロップは容易になるだろう。
(後編に続く)
以前のポスト※で、私はカードセットとしての戦乱のゼンディカーのエルドラージのデザインについて、メカニズム的美しさが欠けていると評した。私の考えでは、R&Dは嚥下のような場当たり的なメカニズムを作るのではなく、無色と追放領域というテーマの可能性をもっと掘り下げるべきだったと思う。もちろんマジックの歴史において無色と追放領域の間に強い結びつきがあったとは言えないが、詳しく見ていくとそこにわずかながらデザイン空間が広がっていることがわかる。
したがってここではそれをいくつかの機能ごとに分類し、それぞれの空間でどのようなデザインが可能なのか検証していくことにしよう。必然的なこととして、途中に私の妄想にすぎないアイデアが出てくるが、苦手な方は読み飛ばしていただいて構わない。図々しく感じられるかもしれないが、思いついたことは吐き出さないと気が済まない性分なため大目に見ていただければ幸いだ。
※……http://casualmtg.diarynote.jp/201602271838453600/およびhttp://casualmtg.diarynote.jp/201603010330169840/
不可逆性——戻ってくることのない場所
脆い彫像/Brittle Effigy (1)
アーティファクト M11, レア
(4),(T),脆い彫像を追放する:クリーチャー1体を対象とし、それを追放する。
大祖始の遺産/Relic of Progenitus (1)
アーティファクト ALA, コモン
(T):プレイヤー1人を対象とする。そのプレイヤーは自分の墓地にあるカード1枚を追放する。
(1),大祖始の遺産を追放する:すべての墓地にあるすべてのカードを追放する。カードを1枚引く。
ブージーアムの輪/Bosium Strip (3)
アーティファクト WTH, レア
(3),(T):ターン終了時まで、あなたの墓地の一番上のカードがインスタント・カードかソーサリー・カードである場合、あなたはそのカードを唱えてもよい。このターン、これにより唱えられたカードが墓地に置かれる場合、代わりにそれを追放する。
追放領域の最も基本的な役割は、言うまでもなく最も再利用困難な領域だということだろう。基本セット2010での変更によって追放領域はゲームの外部から分断され、その傾向はいっそう強まることになった(もう《狡猾な願い/Cunning Wish》で使用済みの《狡猾な願い/Cunning Wish》を持ってくることはできない!)。追放領域のこの機能は、単体除去をはじめ、特定の領域のカードを使用不可能にする、リソースが繰り返し使われるのを防ぐといった様々な用途に使われている。
BFZにおいては、追放領域の不可逆性は《完全無視/Complete Disregard》や《虚空の接触/Touch of the Void》といったカードによって多数実装されている。強いて言えば、無意味な追放能力である嚥下をセットから取り除く代わりに、《屑山の人形/Heap Doll》のような、盤面に影響を与えないが無意味なわけでもない追放能力を持つカードを増やす必要があるだろう。仮にそうした場合、BFZのエルドラージたちは単純な攻撃性に加えて新たに緩い妨害能力を持つことになる。
もっとも、OGW発売前のモダン環境を思い返せば、黒単エルドラージには昇華者のための《大祖始の遺産/Relic of Progenitus》や《虚無の呪文爆弾/Nihil Spellbomb》が大量に採用されていたのであり、妨害と強力なクロックの組み合わせはエルドラージのサブテーマとして現実に即したものなのではないかと思う。
暫定性——一時的保管場所
隠れ家/Safe Haven
土地 DRK, アンコモン1
(2),(T):あなたがコントロールするクリーチャー1体を対象とし、それを追放する。
あなたのアップキープの開始時に、あなたは隠れ家を生け贄に捧げてもよい。そうした場合、隠れ家によって追放された各カードを、オーナーのコントロール下で戦場に戻す。
Tawnos’s Coffin (4)
アーティファクト ATQ, アンコモン1
あなたは、あなたのアンタップ・ステップにTawnos’s Coffinをアンタップしないことを選んでもよい。
(3),(T):クリーチャー1体を対象とし、それとそれにつけられているすべてのオーラを追放する。そのクリーチャーの上に置かれているカウンターの種類と数を記録する。Tawnos’s Coffinが戦場を離れるかアンタップ状態になったとき、その前者の追放されたカードをオーナーのコントロール下で、タップ状態かつ記録された種類と数のカウンターが置かれた状態で戦場に戻す。そうした場合、その他の追放されたカードをオーナーのコントロール下でそのパーマネントにつけられた状態で戦場に戻す。
エルキンの壷/Elkin Bottle (3)
アーティファクト ICE, レア
(3),(T):あなたのライブラリーの一番上のカードを追放する。あなたの次のアップキープの開始時まで、あなたはこのカードをプレイしてもよい。
改めて考えると不思議なことだが、カードを永久に使えなくするという基本の性質とは反対に、カードを一時的に消滅させる効果にも追放領域が頻繁に用いられる。もちろん、この手の行為を追放領域を使わずに実装したカードもあるにはある(《森の知恵/Sylvan Library》や《死の国からの救出/Rescue from the Underworld》など)が、それらと比較しても追放領域の利便性は抜きん出ている。
そもそもあるカードが追放領域以外に移動した場合、それを再び元の領域に戻すためには同じ領域の他のカードと混ざらないように管理せねばならず、ゲームプレイ上の困難が伴う。《Tawnos’s Coffin》のような暫定除去を使用する際にプレイヤーはよく追放されたカードを下に重ねて管理するが、これも基本的に公開情報であり、置き場所が不定で、出入りが少ないという追放領域の特性ゆえに可能なことだ。
ところで、戦乱のゼンディカー・ブロックを通じて白い欠色カードは唯一《変位エルドラージ/Eldrazi Displacer》のみだったが、このカードのデザインもまた(追放領域のカードは増えないものの)追放領域の暫定的利用にあたる。いわゆる《忘却の輪/Oblivion Ring》能力を含めた明滅効果は白にも無色にも頻出するカードであり、私にはなぜR&Dが《停滞の罠/Stasis Snare》を欠色を持つエルドラージ側のカードとしてデザインしなかったのか不思議でならない。
無色のカードによる追放領域の暫定的利用のもうひとつの例は、《エルキンの壷/Elkin Bottle》能力だ。この能力は追放されたカードに有効期限を設定し、一時的にリソースとして活用できるようにするもので、一定期間を過ぎると使用不能になる。《エルキンの壷/Elkin Bottle》のようにプレイヤーに恩恵をもたらすデザインになることもあれば、ごくまれに《姥の仮面/Uba Mask》のように行動を制限する目的でデザインされることもある。
こうした追放領域を使って一時的にリソースを増やす能力は今日において赤のカラー・パイに割り当てられ、ほとんど毎ブロックで見かけるようになってきた。しかし幸いかBFZには存在していないため、この能力を嚥下の代わりの新たなカードの一群に加えることもできるだろう。ただしその場合、昇華者のために対戦相手のカードを追放するよう少々異なった処理にする必要がある。
[カード名] (2)(赤)
ソーサリー
欠色
対戦相手1人を対象とする。そのプレイヤーは、自分のライブラリーの一番上から3枚のカードを追放する。次のあなたのターンの終了時まで、あなたは(X)を支払うことで、これにより追放されたカードをマナ・コストを支払うことなくプレイしてもよい。Xは、その追放されたカードの点数で見たマナ・コストに等しい。
あなたは対戦相手のライブラリーを追放し、それを好きな色の(もしくは無色の)マナでプレイすることができる。《メレティスのダクソス/Daxos of Meletis》のような記述にしなかったのは土地をプレイできるようにするためでもあるが、対戦相手のカードをあたかも無色のカードであるかのように変更してしまうという挙動が欠色呪文にふさわしいと考えたからでもある。
白には白、青には青のマナ・シンボルがあるように、OGWでは新たに無色のマナ・シンボルが生み出された。しかしその反面、BFZの無色要素は必然性を欠くものになってしまったように思われる。今になって考えると、このメカニズム上の不均一さを改善するためにR&DはBFZで無色のマナ・コストの別な側面を掘り下げる必要があったのかもしれない。もちろんかつての烈日のようなデザインは(収斂があるために)避けるべきだが、ここにはまだ未開拓のデザイン的資源が眠っていると私は確信している。
また、《エルキンの壷/Elkin Bottle》能力にはまだ印刷されていない利用価値がある。それは追放されたカードを手札に見立てて手札関連の能力を書き直すというもので、手札に戻す、手札に加えるといったありふれた能力を追放を用いてエルドラージ的にすることができる。
[カード名] (3)(青)
クリーチャー ― エルドラージ・ドローン
欠色
[カード名]が戦場に出たとき、他のクリーチャー1体を対象とし、それを追放する。
[カード名]によって追放されたカードのオーナーは、そのカードをプレイしてもよい。
2/2
このテキストは全く青らしくないにもかかわらず、カード全体としては風変わりな《大クラゲ/Man-o’-War》そのものだ。ただし、追放を用いたテキストに改められたことで、このカードが戦場に残っていなければ除去されたクリーチャーを出し直すことができなくなった。
この能力はこのカードに一種の除去耐性を与えているが、全く反対にわざと戦場を離れさせることによって劇的な効果を得ることもできる。昇華者との相性は言うまでもなく、BFZのエルドラージのデザインにとって追放領域の暫定性はこれ以上ないデザイン的資源だといえる。
とはいえ、マローが言う新世界秩序を考慮すると《エルキンの壷/Elkin Bottle》能力は新規のプレイヤーにとって少々複雑すぎるかもしれない。特にターン終了時までの継続的効果なのか、パーマネントの常在型能力なのかといった些細な(しかし重要な)違いは、こうした効果を初めて見るプレイヤーを大いに戸惑わせる恐れがある。
しかし、そのようなマーケティング上の問題を考慮しないのであれば、この能力はエルドラージのデザインにとってきわめて有用な資源となるはずだ。暫定性のデザインは、往々にして強力になりすぎる追放能力を適切なパワー・レベルにまで引き下げたものであり、嚥下のような無意味な能力と《剣を鍬に/Swords to Plowshares》のような過剰な能力との間に無限のグラデーションを作ることを可能にする。デザイナーはこれによって昇華者のための追放能力を低いマナ域やレアリティに作ることができるようになり、結果としてリミテッド環境のデベロップは容易になるだろう。
(後編に続く)
Chase StoneのOGWでの仕事
2016年3月6日 Magic: The Gathering
エルドラージや欠色のカードのテキスト部分はうっすら透けているため、通常の倍の仕事量になるアーティストにとっては重労働。自作を公開している方の作品を見る限り、下半分は緻密に描き込まず不自然にならない程度の完成度で済ませる場合が多いようです(おそらくWotCからも下半分は大まかでOK、みたいな指示が出ているものと思われます)。
それはそれで「プロ級の手抜き」が見られる貴重な機会だったり、制作過程を見るような感じだったりして楽しいのですが、Chase Stoneはそんな隠れて見えない部分も流石のこだわりで書き抜いています(きっと楽できない性格なんだろうなあ……)。彼のTumblrをチェックしたところ、各作品にコメントがついていたので稚拙ながらも訳してみました。
重力に逆らうもの/Gravity Negator
磁性流体のようになった半透明の川の水、水面の反射と映り込み、屈折して見える川底の面晶体……と大変な要素のオンパレードにもかかわらず、いずれも苦もなく仕上げているのは見事。しかしカードではテキスト欄の面晶体はほぼ完全に見えなくなっており、かわいそうなのか何なのか……。エルドラージに引き寄せられている水も、印刷されると網点数個にしかならないはずの部分をノリノリで描いたことが伝わってきて、何というか、アーティストの人柄が伝わってきます。
次元潜入者/Dimensional Infiltrator
背景は3Dモデルを使えと言わんばかりの設定ですが、描きぶりから人力なのは明白。アートディレクターも狙って人選したとしか思えません。何気にエルドラージのデザインが独特なのも素晴らしい。
本質を蝕むもの/Essence Depleter
上半分だけでも決まった構図にするのは大変なのに、下半分と合わせてもばっちり成立するだまし絵のような構図。手前の要素が目を引きすぎないよう、ぼかしを入れてエルドラージに視線誘導しつつ臨場感を出す気遣いも(当然カードでは見えません)。エルドラージの一瞥を表現したかったと言っておきながら、あえて目を描かない(コジレックの血族なのでその気になれば描き放題)というストイックさにも頭が下がります。
ソース
http://chasestoneart.com/post/136958272239/gravity-negator-this-might-be-my-favorite-of-all#notes
http://chasestoneart.com/post/136958762039/dimensional-infiltrator-the-various-effects#notes
http://chasestoneart.com/post/137058263339/essence-depleter-again-trying-to-keep-the-focal#notes
それはそれで「プロ級の手抜き」が見られる貴重な機会だったり、制作過程を見るような感じだったりして楽しいのですが、Chase Stoneはそんな隠れて見えない部分も流石のこだわりで書き抜いています(きっと楽できない性格なんだろうなあ……)。彼のTumblrをチェックしたところ、各作品にコメントがついていたので稚拙ながらも訳してみました。
重力に逆らうもの/Gravity Negator
重力に逆らうもの/Gravity Negator
これはゲートウォッチの誓いと戦乱のゼンディカーで私が描いた全エルドラージの中でも特に気に入っているものかもしれない。私はこれらのほとんどのイラストレーションである種の率直さ(見るものがこの危険な野生の生物に偶然出くわして、それがしている何かに気づいたような)を感じさせるようにした。そのアイデアという点ではこれは最も成功していると私は思う。
アートディレクター:Jeremy Jarvis
磁性流体のようになった半透明の川の水、水面の反射と映り込み、屈折して見える川底の面晶体……と大変な要素のオンパレードにもかかわらず、いずれも苦もなく仕上げているのは見事。しかしカードではテキスト欄の面晶体はほぼ完全に見えなくなっており、かわいそうなのか何なのか……。エルドラージに引き寄せられている水も、印刷されると網点数個にしかならないはずの部分をノリノリで描いたことが伝わってきて、何というか、アーティストの人柄が伝わってきます。
次元潜入者/Dimensional Infiltrator
次元潜入者/Dimensional Infiltrator
コジレックの血族が周囲にもたらす様々なエフェクトは描くのがとても楽しい、特にこいつのような。
アートディレクター:Dawn Murin
背景は3Dモデルを使えと言わんばかりの設定ですが、描きぶりから人力なのは明白。アートディレクターも狙って人選したとしか思えません。何気にエルドラージのデザインが独特なのも素晴らしい。
本質を蝕むもの/Essence Depleter
本質を蝕むもの/Essence Depleter
再び焦点距離と遠近法を保って率直な感覚が伝わるように試みた。通り過ぎるエルドラージの視線をとらえた生存者の両目を通して私たちがこれを見ているかのように感じてほしい。
アートディレクター:Dawn Murin
上半分だけでも決まった構図にするのは大変なのに、下半分と合わせてもばっちり成立するだまし絵のような構図。手前の要素が目を引きすぎないよう、ぼかしを入れてエルドラージに視線誘導しつつ臨場感を出す気遣いも(当然カードでは見えません)。エルドラージの一瞥を表現したかったと言っておきながら、あえて目を描かない(コジレックの血族なのでその気になれば描き放題)というストイックさにも頭が下がります。
ソース
http://chasestoneart.com/post/136958272239/gravity-negator-this-might-be-my-favorite-of-all#notes
http://chasestoneart.com/post/136958762039/dimensional-infiltrator-the-various-effects#notes
http://chasestoneart.com/post/137058263339/essence-depleter-again-trying-to-keep-the-focal#notes
嚥下をやり直す
前回のポストにも書いたが、昇華者のデザインに魅力が欠けていたのは事実だとしても、追放領域を扱うというメカニズム自体に問題があったわけではない。追放はウラモグの誘発型能力と呼応しており、その眷属の「飢え」とエルドラージの異質さを表現するための手段として正当なものだ。だとすれば、問題の多かった追放方法、すなわち嚥下のデザインを見直すことがこのセットの魅力を増大させるために必要なことに違いない。
このような一般のプレイヤーによる再デザインの試みに馴染みのない人も多いかもしれないが、メルヴィンの中にはデザインを「鑑賞する」だけでなく「制作する」ことを同様に愛する人たちがいる。もちろん、そういった傾向のある人たちのうちごく一握りだけが実際のデザインに関わることができるのであって、そうでない人のデザインは単なる空想にすぎない。しかしそれを理解してはいても、こうしたことすらマジックの楽しみのひとつだと考える人は確実に存在するのだ。たとえて言うなら、プロツアーの中継を見ながらプロプレイヤーのドラフトのピック譜を検証する一般プレイヤーの感覚に近いものがあるだろう。
飢餓
嚥下の問題点は、単純なメリット能力であるということに加えて、サボタージュ能力であるということだ。前者はすでに前回指摘した通りだが、後者はマジックで活躍しにくい能力の筆頭だ。マジックは基本的に相手のクリーチャーから自分のライフを守るゲームであり、相手の妨害をかいくぐってブロッカーを乗り越えなければならないこの能力は、能力の誘発条件としては最高難易度のもののひとつだといえる。それゆえ、歴史的にこの種の能力で活躍したクリーチャーは、カードを使って除去から守るだけの価値を持つアドバンテージ源であるか、ブロッカーの排除が不要な回避能力があるか、もしくはその両方であることが多い。
したがって、明確なメリットにもならず、追放が容易であるという2つの要求を同時に解決するようなメカニズムを考案することにしよう。最初の案は、エルドラージの巨大さというフレイバーを反映させたものだ(なおカードはデザインを示すためのものなので、個別のパワー・レベルに関しては深く考えないでいただきたい)。
言うまでもなくこのカードは《搭載歩行機械/Hangarback Walker》の焼き直しで、また《果てしなきもの/Endless One》のデザインスペースを若干侵してしまってもいる。しかし、適度な追放量とフレイバーに満ちたメカニズムという意味ではそこまで悪くはないはずだ。飢餓Xを持つカードはマナ・コストに(X)(X)を持ち、唱えたときにライブラリーをX枚追放する。テキスト欄ではXの値を参照し、カラー・パイに合わせた能力を持たせることができる。
嚥下と決定的に異なるのは追放されたカードが飢餓クリーチャー自体に記録される点で、その点は刻印に似ている。要するに、何も食べていない状態では2マナのウィニーだが、対戦相手のライブラリーを食べた状態で登場すると4マナの中型クリーチャーや6マナのファッティになるというわけだ。
昇華者の役割は、飢餓を持つクリーチャーたちの胃の内容物を「消化」すること(開発中の昇華者の能力は消化/digestと呼ばれていた※)としてより明確化される。能力の代償として飢餓クリーチャーは空腹になり、参照するXの値も縮んでいく(すでに戦場を離れている場合はその限りでない)。
※……http://mtg-jp.com/reading/translated/ld/0015738/(再訪世界の新しいメカニズムのデベロップ/Developing New Mechanics in a Returning World)
逆収斂
エルドラージの特徴のひとつは無色だということで、今回デザイナーたちは有色のマナを要求するにもかかわらず無色である、という禅問答のようなカードを作り出すために相当苦労したようだ。この欠色というメカニズムは、ミラディン・ブロックの有色のマナを起動型能力に含むアーティファクトや、《サルコマイトのマイア/Sarcomite Myr》をはじめとする有色アーティファクトとはわけが違っており、単に有色のものを後づけ的に無色にするためだけに存在している。
しかし6種類の専用のカード枠まで用意したにもかかわらず、無色というテーマがサブタイプ以上の意味を持つことはついになかった。戦乱のゼンディカー・ブロックに存在する「無色のクリーチャー」あるいは「無色の呪文」を参照するカードを、すべて「エルドラージ・クリーチャー」と「エルドラージ呪文」に置き換えてもほとんど同じように機能したことだろう(この場合の最大の問題は、マローが部族呪文を新たに作る気がないということだ)。
何よりも、メカニズム的に欠色と追放領域はほとんど交わることがなかった。それぞれを参照するカードはあれど、本質的に関連性のないこの2つのテーマを同じエルドラージのものとして扱うには、両者を結びつける何かしらのデザイン的解決が必要だったように思われる。次の案は、それを実現するための試みだ。
逆収斂は、プレイヤーにデッキの色を減らすよう求めるメカニズムだ。収斂や烈日がマナの色の総数に応じて強力になったのに対し、逆収斂ではそれが少ないほど強力な効果を得られる。このカードのデザインでは、支払われたマナの色が多い場合には青の伝統的な効果を発揮するが、それが最小になると突然カラー・パイが捻じ曲がり、無色の呪文としての効果に変わる。とはいえ大量の青マナを注ぎ込むことでも同様の効果を得られるため、片手落ちの感は否めないのだが。
このカードのデザインが成功しているかどうかはさておき、このメカニズムは難しい調整を強いられる可能性が高い。なぜならマナ・コストの低い逆収斂クリーチャーほど高い効果を得やすくなるためマナ・コストを高めに設定せざるをえず、結果的にリミテッド環境が遅くなることが予想されるからだ。さらに悪いことに、遅いゲームでは3〜5枚程度の《石臼/Millstone》効果ですら連発すると致死量になりかねず、したがってこの能力の存在自体が危ぶまれることになるだろう。
逆収斂をこのように改良すれば上記2つの問題は回避できるかに思える。しかし言うまでもなく、このような表記は単に無色マナを数える能力を冗長に書き直したものにすぎない。改良前にもあった欠点だが、無色マナは次のエキスパンションで大々的にフィーチャーされるうえ、それはコジレックのものと定められている※。逆収斂のテキスト自体に無色マナ・シンボルは登場しないが、テーマの重複は大いにはばかられることだ。
※……http://markrosewater.tumblr.com/post/137030918143/if-you-has-introduced-the-colorless-symbol-in-bfz
無色召集
無色と追放領域を結びつけるもうひとつの案は、無色のクリーチャーを参照してライブラリーを追放するというものだ。このデザインのフレイバー的な美点は、大抵の場合コストとして土地をタップすることになるため土地からマナを出す必要がないということだ。呪文の側で土地をあたかも無色土地として扱うという処理方法は、ゼンディカーの土地を無差別に荒廃させていくエルドラージにうってつけのものだし、また逆収斂にあったマナの色に言及して次のセットの楽しみを削ぐという心配もない。
細かく見ていくと、無色召集はこのカードに印刷されたライブラリーを追放する能力とシナジーを形成するだけで、直接追放はしない。デザイン次第では追放する能力だけを持つカードや、タップ状態の無色のクリーチャーを参照する別の能力を作ることも可能だ。さらに無色召集でタップできるのは無色のパーマネントなので、このカードのような無色のエンチャントのデザイン空間も一気に開けるかもしれない(ただし、エンチャントをタップするべきではないという意見が根強くあることを忘れてはならない)。
召集は実質的にコストを軽減する能力だが、親和や探査ほど壊れた性能ではなく、事実複数回に渡って再録もされた。無色召集は召集と違いクリーチャーでないアーティファクトやエンチャントをコストにすることもできるが、それらを大量にばらまく手段は限られているため度を越した危険性はないはずだ。むしろ劇的に相性がいいのは《ウギンの目/Eye of Ugin》で、現実世界のエルドラージ以上にモダン環境に悪影響を及ぼしてしまうかもしれない。
スタンダードでの目下の問題は末裔・トークンとのルール的な相互作用だろう。このポストのために召集を調べていて初めて知ったが、末裔・トークンをタップして召集コストを支払ったうえで、さらに生け贄に捧げてマナの支払いに充てることは現在のルールでは不可能になっている。しかし、カードリストを見たプレイヤーのはたして何割がこの問題に即答できるだろうか? 仮に無色召集を採用するとなれば、おそらくこの相互作用をコミュニティに周知するという必要経費がデザイン的魅力から差し引かれることになるだろう。
マーカー問題
無色召集は欠色とのシナジーを持っているので、欠色がサブタイプ以上の役割を持たないことに対する解決策になっている。ただし、ライブラリーのカードを追放する能力はそうではない。昇華者のデザイン次第でいかようにも転びうるとはいえ、追放領域のメカニズム的な必然性は薄いままで、単に数を記録するためのある種のマーカーにすぎない。もしもライブラリーを追放する代わりにプレイヤーに経験カウンターを得させ、昇華者がそれを消費するようにデザインされていたとしても、スタンダードで失われるのはせいぜい追放除去とのシナジー程度のものだったに違いない。
端的に言えば、戦乱のゼンディカーのエルドラージは純粋なトップダウン・デザインであり、それゆえ各要素がきわめてフレイバー的で、システム的な統一感がなかったのだ。このことは、隣接するカードセットにまさにシステム上の必要性からデザインされたように見える、無色マナを要求するエルドラージが存在しているだけにいっそう際立って感じられる。
個人的には、戦乱のゼンディカーのエルドラージに与えるべきテーマを持っているのは、皮肉なことにゲートウォッチの誓いの《ゲトの裏切り者、カリタス/Kalitas, Traitor of Ghet》なのではないかと考えている。カリタスの持つ擬似《虚空の力線/Leyline of the Void》能力は彼が相手のクリーチャーの死体をゾンビ化する様子を表現したものだが、彼がエルドラージに服従する前の姿である《ゲトの血の長、カリタス/Kalitas, Bloodchief of Ghet》と比較すると、追放領域という今回のエルドラージのテーマと呼応させるためにデザインされたように見えなくもない。
いずれにせよ、追放領域にマーカー以上の必然性を持たせるには(ゲートウォッチの誓い発売前のモダン環境で黒単エルドラージがやっていたように)ある種のヘイトベアー的妨害戦略をエルドラージのテーマにすることが最も自然だったように思う。すべてのエルドラージ・ドローンに《大祖始の遺産/Relic of Progenitus》や《頭蓋の摘出/Cranial Extraction》レベルの能力を与える必要はないが、嚥下の代わりに《死体焼却/Cremate》や《逃れえぬ運命/Sealed Fate》程度の能力を持っていたとしたら、エルドラージが何をする存在なのかシステム上でも明確になったことだろう。度を越してゲームを窮屈にしない範囲で追放能力に意義を与えることは、わざわざゲームに影響を及ぼさない追放可能な場所を探して嚥下をデザインすることよりも賢明に思える。
戦乱の終わり
あまりに長大な内容になってしまったので、追放による妨害とビートダウンをテーマに生まれ変わったエルドラージのデザインは可能性に留めておこう。このポストを書いている最中に気づいたのは、再デザインの試みは『アフターマン』や『新恐竜』に描かれた世界によく似ているということだ。前者は人類が絶滅した後の未来の地球で、後者は恐竜が絶滅しなかった現代の地球でどんな生物が進化しているかに関する著者ドゥーガル・ディクソンの学術的な体裁の妄想なのだが、ありえたかもしれないデザインの可能性を探る試みも同様の魅力と滑稽さを持っている。
誤解しないでいただきたいのは、私が戦乱のゼンディカーのデザインをこき下ろしたからといって、WotCやマジック自体に対して批判的になっているわけではないということだ。映画評論家がいくら特定の映画に対してあれこれ言ったところで映画そのものを嫌いになることが決してないのと同じで、それがメルヴィン流のマジックに対する親しみ方なのだ。
いちカジュアルプレーヤーとして、カードデザインの良し悪しに関する議論はマジックの楽しみとしてあまり共有されていないように感じる。このポストの内容は客観的に見て偏っており、すべてが誰にでも受け入れられるとは到底思えないが、もしもこれを読んだあなたが私と同じような楽しみに少しでも気づいてくれたなら、これ以上幸せなことはない。
前回のポストにも書いたが、昇華者のデザインに魅力が欠けていたのは事実だとしても、追放領域を扱うというメカニズム自体に問題があったわけではない。追放はウラモグの誘発型能力と呼応しており、その眷属の「飢え」とエルドラージの異質さを表現するための手段として正当なものだ。だとすれば、問題の多かった追放方法、すなわち嚥下のデザインを見直すことがこのセットの魅力を増大させるために必要なことに違いない。
このような一般のプレイヤーによる再デザインの試みに馴染みのない人も多いかもしれないが、メルヴィンの中にはデザインを「鑑賞する」だけでなく「制作する」ことを同様に愛する人たちがいる。もちろん、そういった傾向のある人たちのうちごく一握りだけが実際のデザインに関わることができるのであって、そうでない人のデザインは単なる空想にすぎない。しかしそれを理解してはいても、こうしたことすらマジックの楽しみのひとつだと考える人は確実に存在するのだ。たとえて言うなら、プロツアーの中継を見ながらプロプレイヤーのドラフトのピック譜を検証する一般プレイヤーの感覚に近いものがあるだろう。
飢餓
嚥下の問題点は、単純なメリット能力であるということに加えて、サボタージュ能力であるということだ。前者はすでに前回指摘した通りだが、後者はマジックで活躍しにくい能力の筆頭だ。マジックは基本的に相手のクリーチャーから自分のライフを守るゲームであり、相手の妨害をかいくぐってブロッカーを乗り越えなければならないこの能力は、能力の誘発条件としては最高難易度のもののひとつだといえる。それゆえ、歴史的にこの種の能力で活躍したクリーチャーは、カードを使って除去から守るだけの価値を持つアドバンテージ源であるか、ブロッカーの排除が不要な回避能力があるか、もしくはその両方であることが多い。
したがって、明確なメリットにもならず、追放が容易であるという2つの要求を同時に解決するようなメカニズムを考案することにしよう。最初の案は、エルドラージの巨大さというフレイバーを反映させたものだ(なおカードはデザインを示すためのものなので、個別のパワー・レベルに関しては深く考えないでいただきたい)。
飢餓エルドラージ (X)(X)(2)
クリーチャー ― エルドラージ・ドローン
飢餓X(あなたがこの呪文を唱えたとき、対戦相手1人を対象とする。そのプレイヤーは自分のライブラリーの一番上からX枚のカードを追放する。)
飢餓エルドラージは、それによって追放されているカード1枚につき+2/+2の修整を受ける。
2/1
言うまでもなくこのカードは《搭載歩行機械/Hangarback Walker》の焼き直しで、また《果てしなきもの/Endless One》のデザインスペースを若干侵してしまってもいる。しかし、適度な追放量とフレイバーに満ちたメカニズムという意味ではそこまで悪くはないはずだ。飢餓Xを持つカードはマナ・コストに(X)(X)を持ち、唱えたときにライブラリーをX枚追放する。テキスト欄ではXの値を参照し、カラー・パイに合わせた能力を持たせることができる。
嚥下と決定的に異なるのは追放されたカードが飢餓クリーチャー自体に記録される点で、その点は刻印に似ている。要するに、何も食べていない状態では2マナのウィニーだが、対戦相手のライブラリーを食べた状態で登場すると4マナの中型クリーチャーや6マナのファッティになるというわけだ。
昇華者の役割は、飢餓を持つクリーチャーたちの胃の内容物を「消化」すること(開発中の昇華者の能力は消化/digestと呼ばれていた※)としてより明確化される。能力の代償として飢餓クリーチャーは空腹になり、参照するXの値も縮んでいく(すでに戦場を離れている場合はその限りでない)。
※……http://mtg-jp.com/reading/translated/ld/0015738/(再訪世界の新しいメカニズムのデベロップ/Developing New Mechanics in a Returning World)
逆収斂
エルドラージの特徴のひとつは無色だということで、今回デザイナーたちは有色のマナを要求するにもかかわらず無色である、という禅問答のようなカードを作り出すために相当苦労したようだ。この欠色というメカニズムは、ミラディン・ブロックの有色のマナを起動型能力に含むアーティファクトや、《サルコマイトのマイア/Sarcomite Myr》をはじめとする有色アーティファクトとはわけが違っており、単に有色のものを後づけ的に無色にするためだけに存在している。
しかし6種類の専用のカード枠まで用意したにもかかわらず、無色というテーマがサブタイプ以上の意味を持つことはついになかった。戦乱のゼンディカー・ブロックに存在する「無色のクリーチャー」あるいは「無色の呪文」を参照するカードを、すべて「エルドラージ・クリーチャー」と「エルドラージ呪文」に置き換えてもほとんど同じように機能したことだろう(この場合の最大の問題は、マローが部族呪文を新たに作る気がないということだ)。
何よりも、メカニズム的に欠色と追放領域はほとんど交わることがなかった。それぞれを参照するカードはあれど、本質的に関連性のないこの2つのテーマを同じエルドラージのものとして扱うには、両者を結びつける何かしらのデザイン的解決が必要だったように思われる。次の案は、それを実現するための試みだ。
逆収斂ドローン (4)(青)
クリーチャー ― エルドラージ・ドローン
欠色
瞬速
逆収斂(あなたがこの呪文を唱えたとき、対戦相手1人を対象とする。そのプレイヤーは自分のライブラリーの一番上からX枚のカードを追放する。Xは、5引くこのカードを唱えるために支払われたマナの色の総数である。)
逆収斂ドローンが戦場に出たとき、それによって追放されているカード1枚につきクリーチャー1体を対象とする。その1体目と2体目と3体目をタップし、4体目を追放する。
3/3
逆収斂は、プレイヤーにデッキの色を減らすよう求めるメカニズムだ。収斂や烈日がマナの色の総数に応じて強力になったのに対し、逆収斂ではそれが少ないほど強力な効果を得られる。このカードのデザインでは、支払われたマナの色が多い場合には青の伝統的な効果を発揮するが、それが最小になると突然カラー・パイが捻じ曲がり、無色の呪文としての効果に変わる。とはいえ大量の青マナを注ぎ込むことでも同様の効果を得られるため、片手落ちの感は否めないのだが。
このカードのデザインが成功しているかどうかはさておき、このメカニズムは難しい調整を強いられる可能性が高い。なぜならマナ・コストの低い逆収斂クリーチャーほど高い効果を得やすくなるためマナ・コストを高めに設定せざるをえず、結果的にリミテッド環境が遅くなることが予想されるからだ。さらに悪いことに、遅いゲームでは3〜5枚程度の《石臼/Millstone》効果ですら連発すると致死量になりかねず、したがってこの能力の存在自体が危ぶまれることになるだろう。
逆収斂(このクリーチャーが戦場に出たとき、対戦相手1人を対象とする。そのプレイヤーは自分のライブラリーの一番上からX枚のカードを追放する。Xは、このカードの点数で見たマナ・コスト引くこのカードを唱えるために支払われた有色のマナの総数である。)
逆収斂をこのように改良すれば上記2つの問題は回避できるかに思える。しかし言うまでもなく、このような表記は単に無色マナを数える能力を冗長に書き直したものにすぎない。改良前にもあった欠点だが、無色マナは次のエキスパンションで大々的にフィーチャーされるうえ、それはコジレックのものと定められている※。逆収斂のテキスト自体に無色マナ・シンボルは登場しないが、テーマの重複は大いにはばかられることだ。
※……http://markrosewater.tumblr.com/post/137030918143/if-you-has-introduced-the-colorless-symbol-in-bfz
無色召集
無色召集の巣 (7)
エンチャント
無色召集(この呪文を唱えるに際しあなたがタップした無色のパーマネント1つで(1)を支払う。)
あなたが無色召集の巣を唱えたとき、対戦相手1人を対象とする。そのプレイヤーは自分のライブラリーの一番上からX枚のカードを追放する。Xはあなたがコントロールするタップ状態の無色のクリーチャーの数に等しい。
破壊不能
あなたが唱える無色の呪文は無色召集を持つ。
無色と追放領域を結びつけるもうひとつの案は、無色のクリーチャーを参照してライブラリーを追放するというものだ。このデザインのフレイバー的な美点は、大抵の場合コストとして土地をタップすることになるため土地からマナを出す必要がないということだ。呪文の側で土地をあたかも無色土地として扱うという処理方法は、ゼンディカーの土地を無差別に荒廃させていくエルドラージにうってつけのものだし、また逆収斂にあったマナの色に言及して次のセットの楽しみを削ぐという心配もない。
細かく見ていくと、無色召集はこのカードに印刷されたライブラリーを追放する能力とシナジーを形成するだけで、直接追放はしない。デザイン次第では追放する能力だけを持つカードや、タップ状態の無色のクリーチャーを参照する別の能力を作ることも可能だ。さらに無色召集でタップできるのは無色のパーマネントなので、このカードのような無色のエンチャントのデザイン空間も一気に開けるかもしれない(ただし、エンチャントをタップするべきではないという意見が根強くあることを忘れてはならない)。
召集は実質的にコストを軽減する能力だが、親和や探査ほど壊れた性能ではなく、事実複数回に渡って再録もされた。無色召集は召集と違いクリーチャーでないアーティファクトやエンチャントをコストにすることもできるが、それらを大量にばらまく手段は限られているため度を越した危険性はないはずだ。むしろ劇的に相性がいいのは《ウギンの目/Eye of Ugin》で、現実世界のエルドラージ以上にモダン環境に悪影響を及ぼしてしまうかもしれない。
スタンダードでの目下の問題は末裔・トークンとのルール的な相互作用だろう。このポストのために召集を調べていて初めて知ったが、末裔・トークンをタップして召集コストを支払ったうえで、さらに生け贄に捧げてマナの支払いに充てることは現在のルールでは不可能になっている。しかし、カードリストを見たプレイヤーのはたして何割がこの問題に即答できるだろうか? 仮に無色召集を採用するとなれば、おそらくこの相互作用をコミュニティに周知するという必要経費がデザイン的魅力から差し引かれることになるだろう。
マーカー問題
無色召集は欠色とのシナジーを持っているので、欠色がサブタイプ以上の役割を持たないことに対する解決策になっている。ただし、ライブラリーのカードを追放する能力はそうではない。昇華者のデザイン次第でいかようにも転びうるとはいえ、追放領域のメカニズム的な必然性は薄いままで、単に数を記録するためのある種のマーカーにすぎない。もしもライブラリーを追放する代わりにプレイヤーに経験カウンターを得させ、昇華者がそれを消費するようにデザインされていたとしても、スタンダードで失われるのはせいぜい追放除去とのシナジー程度のものだったに違いない。
端的に言えば、戦乱のゼンディカーのエルドラージは純粋なトップダウン・デザインであり、それゆえ各要素がきわめてフレイバー的で、システム的な統一感がなかったのだ。このことは、隣接するカードセットにまさにシステム上の必要性からデザインされたように見える、無色マナを要求するエルドラージが存在しているだけにいっそう際立って感じられる。
個人的には、戦乱のゼンディカーのエルドラージに与えるべきテーマを持っているのは、皮肉なことにゲートウォッチの誓いの《ゲトの裏切り者、カリタス/Kalitas, Traitor of Ghet》なのではないかと考えている。カリタスの持つ擬似《虚空の力線/Leyline of the Void》能力は彼が相手のクリーチャーの死体をゾンビ化する様子を表現したものだが、彼がエルドラージに服従する前の姿である《ゲトの血の長、カリタス/Kalitas, Bloodchief of Ghet》と比較すると、追放領域という今回のエルドラージのテーマと呼応させるためにデザインされたように見えなくもない。
いずれにせよ、追放領域にマーカー以上の必然性を持たせるには(ゲートウォッチの誓い発売前のモダン環境で黒単エルドラージがやっていたように)ある種のヘイトベアー的妨害戦略をエルドラージのテーマにすることが最も自然だったように思う。すべてのエルドラージ・ドローンに《大祖始の遺産/Relic of Progenitus》や《頭蓋の摘出/Cranial Extraction》レベルの能力を与える必要はないが、嚥下の代わりに《死体焼却/Cremate》や《逃れえぬ運命/Sealed Fate》程度の能力を持っていたとしたら、エルドラージが何をする存在なのかシステム上でも明確になったことだろう。度を越してゲームを窮屈にしない範囲で追放能力に意義を与えることは、わざわざゲームに影響を及ぼさない追放可能な場所を探して嚥下をデザインすることよりも賢明に思える。
戦乱の終わり
あまりに長大な内容になってしまったので、追放による妨害とビートダウンをテーマに生まれ変わったエルドラージのデザインは可能性に留めておこう。このポストを書いている最中に気づいたのは、再デザインの試みは『アフターマン』や『新恐竜』に描かれた世界によく似ているということだ。前者は人類が絶滅した後の未来の地球で、後者は恐竜が絶滅しなかった現代の地球でどんな生物が進化しているかに関する著者ドゥーガル・ディクソンの学術的な体裁の妄想なのだが、ありえたかもしれないデザインの可能性を探る試みも同様の魅力と滑稽さを持っている。
誤解しないでいただきたいのは、私が戦乱のゼンディカーのデザインをこき下ろしたからといって、WotCやマジック自体に対して批判的になっているわけではないということだ。映画評論家がいくら特定の映画に対してあれこれ言ったところで映画そのものを嫌いになることが決してないのと同じで、それがメルヴィン流のマジックに対する親しみ方なのだ。
いちカジュアルプレーヤーとして、カードデザインの良し悪しに関する議論はマジックの楽しみとしてあまり共有されていないように感じる。このポストの内容は客観的に見て偏っており、すべてが誰にでも受け入れられるとは到底思えないが、もしもこれを読んだあなたが私と同じような楽しみに少しでも気づいてくれたなら、これ以上幸せなことはない。
戦乱の前
賛否あるのを承知で言えば、タルキール覇王譚はメルヴィン的に見て素晴らしいブロックだったと思う。そう感じられるのは私がかつてのオンスロート・ブロックに強い愛着を持っているからかもしれないが、たとえ再録されたフェッチランドを差し引いたとしても、このブロックは有り余るデザイン的魅力に溢れている。
たとえばR&Dは変異クリーチャーたちに、楔3色がテーマのリミテッドで往々にして脆弱になりやすいマナ基盤を間接的に助ける役割を見出した。少なくともそれらはどんな色の組み合わせからもプレイできる3マナ2/2のクリーチャーであり、またその使用を肯定するために低マナ域は弱くデザインされていた。このことは適度にリミテッドのゲームスピードを遅らせ、結果的に3色のマナを揃えるための時間をプレイヤーにもたらした。
では、それら裏向きのクリーチャーたちは単なるデザイン的要請によって再登場したのかというと、むろんそうではない。彼らは無色の呪文に長けた無色のプレインズウォーカーの魔法の賜物であり、かつて彼がタルキールに生きていたことを示すためのストーリー的にたいへん重要な要素だ。ウギンの復活は次の戦乱のゼンディカー・ブロックへの布石として必要で、故郷を訪れた別のプレインズウォーカー、サルカンによって時空を超えて救出されるという物語になっている。
こうして周知の通り現在、過去、改変された現在の3つの時間軸にまたがってブロックが展開していくわけだが、そのたびに違った可能性を見せる裏向きのクリーチャーというテーマは、これもかつて私が好きだったブロックである時のらせんを思い起こさせ、とてもエキサイティングなものだった。
そしてなおも素晴らしいのは、このブロックが3セット制と2セット制の間をつなぐという、どちらかというとマーケティング的な問題をデザインとストーリーの両面から無理なく実現可能にしていたことだ。タルキールにおけるサルカンの物語は3セットに渡っているが、彼が改変した時間軸は龍紀伝にのみ流れている。次のローテーションでは覇王譚と運命再編が落ち、デザイン的に比較的独立した龍紀伝だけが残る。こうしたクリエイティブとデザインが相互補完し合う関係は、マジックの理想のまさに究極を行くものだ。1996年にミラージュ・ブロックが発売されてから20年続いた3セット1ブロック制のまさに集大成にふさわしい仕事だったといえるだろう。
ゼンディカーへ
ここまで、日記のタイトルに反してひとつ前のブロックを絶賛してきたのは、タルキール覇王譚でマジックに復帰した私の感動を記しておく必要があると思ったからだ。R&Dは以前に比べて確実に成長している、マジックのコンテンツとしての魅力に真剣に取り組んでいると、新時代のマジックにいたく感心したものだ。
しかし想像に難くないように、戦乱のゼンディカーのカードリストを見た私の反応はこれとは大きく異なるものだった。このカードセットは発売後にデザインに対する批判記事※が書かれるほど、セットとしての魅力が欠けていると多くの人に認識されていた。当初私も同じように、憤りと落胆とが入り混じったような感情に苛まれたが、次第にいったい何がこのセットの魅力を目減りさせているのかについて考えを巡らすようになった。そこで、このポストにはそれに対する私なりの回答と、加えてもし私ならどう作っただろうかというアイデアを書き留めておこうと思う。
断っておくと私は当然R&Dの一員でも、何かしらのゲームのデザイナーでもないので、このような行為は無益な妄想でしかない。また、構築やリミテッドを熱心にプレイしている競技プレイヤーでもないので、この日記によってあなたのプレイングや構築技術が向上するわけでもない。しかし、有名プレイヤーの立場に立って試合を観戦するように、デザイナーの立場に立ってデザインを鑑賞するメルヴィン的視点を、星の数ほどあるマジックの楽しみ方のひとつとして楽しんでもらえたらと願っている。
※……http://ch.nicovideo.jp/nagi-mtg/blomaga/ar880647(間違いだらけの「戦乱のゼンディカー」/Everything That’s Wrong with Battle for Zendikar)
BFZとOGW
カードセットとしての戦乱のゼンディカーの失敗とは裏腹に、ブロックとしての戦乱のゼンディカーの評価は、続くゲートウォッチの誓いによって多少なりとも持ち直したことだろう。無色マナという新たなデザイン空間を発掘し、構築級のカードをいくつも生み出した(とはいえ過去のエルドラージの部族カードとの相互作用は、モダン環境で少々やりすぎたきらいがある)。《大いなる歪み、コジレック/Kozilek, the Great Distortion》が非公式に公開された当時、それがフェイクでありえたことも相まって、この新たなマナ・シンボルがユーザーに与えた衝撃は計り知れないものがあった。
ゲートウォッチの誓い発売後の未来から見ると、戦乱のゼンディカーのカードパワーの全体的な低さ、ないし地味さは不可思議なものにすら思える。R&Dが魅力的なカードをデザインする力を失ったわけではない。にもかかわらず隣接するカードセットのデザインにどうしてここまで差がついてしまったのだろうか?
誤解しないでいただきたいのだが、私はなにも、戦乱のゼンディカーのレアカード全てのカードパワーを《難題の予見者/Thought-Knot Seer》レベルに引き上げるべきだと言っているのではない。しかし、たとえば《反射魔道士/Reflector Mage》のような優秀なアンコモンや、リミテッドレベルでの《吸血鬼の特使/Vampire Envoy》のようなデザイン的魅力に富んだカードが戦乱のゼンディカーにもう少しあってもよかったのではないだろうか、そう疑問に思わせるものがこの2つのカードセットの間にはある。
メリットがデメリットに
一般的に、カードパワーの調整はデザインではなくデベロップの役割だと知られている。したがって、戦乱のゼンディカーの失敗は調整段階のデベロップの失敗だと考えることもできるだろう。しかし、デベロップがカードパワーを下げざるをえないようなデザイン的要因があったとしたらどうだろうか?
戦乱のゼンディカーに含まれるメカニズムには、上陸、覚醒、結集、収斂(ゼンディカー側)、欠色、嚥下、昇華者、末裔・トークン(エルドラージ側)がある。私の考えでは、この中で最も問題があるメカニズムは嚥下だ。この、近年追加された中でも屈指の地味なキーワード能力が最も有害である理由は、それが極めて軽微な効果しかもたらさないにもかかわらず基本的にメリット能力だということにある。マジックのプレイヤーはよくマナレシオやコスト・パフォーマンスといったカードの評価基準を口にするが、クリーチャーが一切のデメリット能力なしに多数のメリット能力を持つということは本来ありえない。嚥下を持ったクリーチャーは、それがないクリーチャーよりも極端に強くデザインされるわけにはいかず、結果としてこの能力は単純なデメリット能力のように働いている。
もちろん、R&Dがその点に自覚的だったことも事実だろう。嚥下を持つクリーチャーは現時点で9枚印刷されているが、1マナ1/1の《回収ドローン/Salvage Drone》や《泥這い/Sludge Crawler》をはじめ、《淘汰ドローン/Culling Drone》(2マナ2/2)、《霧の侵入者/Mist Intruder》(2マナ1/2飛行)、青の優秀なコモンとして名高い《水底の潜入者/Benthic Infiltrator》(3マナ1/4アンブロッカブル)などを見れば、マナ効率が平均を下回らないようぎりぎりの線が検討されていることがわかる。
しかし同時に、そのこと自体がこの能力のデザインスペースの狭さを物語ってもいる。タルキール覇王譚でフィーチャーされた楔3色の多色カードや、ゲートウォッチの誓いで登場した無色マナをコストに持つカードがわかりやすい例だが、マジックにはデメリット(これらの場合はコストの捻出しにくさ)が設定されているカードはオーバーパワー気味にデザインしやすいというよく知られた法則がある。したがって、いくら嚥下を持つカードを平均程度のカードパワーでデザインできたとしても、デメリットを口実にハイスペックにデザインされたカードの前に魅力で劣るのは自明なことだ。
しりごみさせるメカニズム
そして嚥下は、何よりも昇華者のために生み出されたメカニズムだ。R&Dはセットの目玉となるエルドラージ側のメカニズムを機能させるために、こうした至極平均的なマナ効率のクリーチャーが戦闘で優位に立てるようにリミテッドのバランスを調整する必要があったものと思われる。
私には、これが戦乱のゼンディカーのカードパワーを押し下げた最も大きな要因だと思えてならない。全くの推測の域を出ないが、これらエルドラージ側の戦略を一瞬で無に帰す恐れのあるカードや戦略は軒並みパワーダウンされ、構築級になる可能性があったカードも一部を除いてリミテッドレベルにまで引き下げられたのではないか、そんなことすら考えている。
それゆえ、意外なことに私はこのセットの他の要素については基本的に肯定的だ。たとえば収斂は、無色のエルドラージと対比するには格好のメカニズムだと思うし、結集も以前の同盟者の能力より実用的なフォーマットになったと思う。これらの問題はパワー・レベルにあり、積極的な調整を許す環境ならばもっと魅力的なものになったことだろう。もしも《タジュールの戦呼び/Tajuru Warcaller》が4マナだったなら? 《待ち伏せ隊長、ムンダ/Munda, Ambush Leader》が同盟者版《ゴブリンの首謀者/Goblin Ringleader》だったとしたら?
昇華者の是非
当然ながら、嚥下を批判するのなら嚥下と昇華者という冗長なシステム自体を問題視するべきだ、という意見もあるだろう。ただ私は先に述べた通り、嚥下以外のメカニズムについては肯定的な見方をしている。メカニズム面で言えば、より下位の戦闘員が上位の戦闘員のための資源を作り出すことは落とし子・トークンとともに登場したエルドラージにとっては自然なことだし、トップダウン的に組織されたエイリアンの軍隊というフレイバーは「スターシップ・トゥルーパーズ(1997)」や「スカイライン(2010)」のようにポピュラーなものだ。
昇華者といえば、WotCがデュエルデッキのプレビュー・カードに《忘却蒔き/Oblivion Sower》を選んだことは正解だったといえる。このカードは戦乱のゼンディカーのエルドラージのテーマとして新たに追放領域を扱うことを明示しており、また、このブロックのストーリーがゼンディカーの領土をめぐるエルドラージとの戦いであることをデザイン的に表現してもいる。
ひとつ問題があるとすれば、このカードのサブタイプに昇華者がないことだ。R&Dは追放領域から墓地に置くカードのみを厳密に昇華者と定義したようだが、私は追放領域を操作するエルドラージのカード全般を昇華者として定義した方が昇華者のデザインの可能性が広がったのではないかと考えている。なぜなら、昇華者は能力のコストの奇妙さと対照的にそれによってもたらされる効果があまりにも平凡で、それがこのセットのデザインを退屈に感じさせる原因のひとつになっているように思えるからだ。
たとえば《霞の徘徊者/Murk Strider》と《精神を掻き寄せるもの/Mind Raker》はそれぞれ大きい《大クラゲ/Man-o’-War》と《貪欲なるネズミ/Ravenous Rats》で、このブロックでなくとも容易にデザイン可能なものだ。《不毛の地の絞殺者/Wasteland Strangler》は構築で最もよく使われた昇華者だが、これも軽い《皮裂き/Skinrender》でしかない。R&Dの面々による記事を見る限り、どうやら彼らはこれらのクリーチャーのフォーマットを作るのに手一杯だったようで、それぞれの昇華者に独創性を持たせるだけの時間的余裕がなかったのだと思われる。
そういった意味で、《忘却蒔き/Oblivion Sower》は(実際には昇華者でないにもかかわらず)デザイン的に最高の昇華者だといえるだろう。単体で完結してもいるが、嚥下によるサポートも受けられる。シナジーにより爆発的なアドバンテージを生み出すこともあるが、それだけでゲームを終わらせるほどではない。何よりも、対戦相手の追放領域の土地・カードを奪うという奇妙なテキストが最高にエルドラージらしい。もしデザイナーが再び昇華者に取り組む機会があるならば、このカードの周囲にあるデザイン空間を掘り起こしてみるべきだろう。
(後編に続く)
賛否あるのを承知で言えば、タルキール覇王譚はメルヴィン的に見て素晴らしいブロックだったと思う。そう感じられるのは私がかつてのオンスロート・ブロックに強い愛着を持っているからかもしれないが、たとえ再録されたフェッチランドを差し引いたとしても、このブロックは有り余るデザイン的魅力に溢れている。
たとえばR&Dは変異クリーチャーたちに、楔3色がテーマのリミテッドで往々にして脆弱になりやすいマナ基盤を間接的に助ける役割を見出した。少なくともそれらはどんな色の組み合わせからもプレイできる3マナ2/2のクリーチャーであり、またその使用を肯定するために低マナ域は弱くデザインされていた。このことは適度にリミテッドのゲームスピードを遅らせ、結果的に3色のマナを揃えるための時間をプレイヤーにもたらした。
では、それら裏向きのクリーチャーたちは単なるデザイン的要請によって再登場したのかというと、むろんそうではない。彼らは無色の呪文に長けた無色のプレインズウォーカーの魔法の賜物であり、かつて彼がタルキールに生きていたことを示すためのストーリー的にたいへん重要な要素だ。ウギンの復活は次の戦乱のゼンディカー・ブロックへの布石として必要で、故郷を訪れた別のプレインズウォーカー、サルカンによって時空を超えて救出されるという物語になっている。
こうして周知の通り現在、過去、改変された現在の3つの時間軸にまたがってブロックが展開していくわけだが、そのたびに違った可能性を見せる裏向きのクリーチャーというテーマは、これもかつて私が好きだったブロックである時のらせんを思い起こさせ、とてもエキサイティングなものだった。
そしてなおも素晴らしいのは、このブロックが3セット制と2セット制の間をつなぐという、どちらかというとマーケティング的な問題をデザインとストーリーの両面から無理なく実現可能にしていたことだ。タルキールにおけるサルカンの物語は3セットに渡っているが、彼が改変した時間軸は龍紀伝にのみ流れている。次のローテーションでは覇王譚と運命再編が落ち、デザイン的に比較的独立した龍紀伝だけが残る。こうしたクリエイティブとデザインが相互補完し合う関係は、マジックの理想のまさに究極を行くものだ。1996年にミラージュ・ブロックが発売されてから20年続いた3セット1ブロック制のまさに集大成にふさわしい仕事だったといえるだろう。
ゼンディカーへ
ここまで、日記のタイトルに反してひとつ前のブロックを絶賛してきたのは、タルキール覇王譚でマジックに復帰した私の感動を記しておく必要があると思ったからだ。R&Dは以前に比べて確実に成長している、マジックのコンテンツとしての魅力に真剣に取り組んでいると、新時代のマジックにいたく感心したものだ。
しかし想像に難くないように、戦乱のゼンディカーのカードリストを見た私の反応はこれとは大きく異なるものだった。このカードセットは発売後にデザインに対する批判記事※が書かれるほど、セットとしての魅力が欠けていると多くの人に認識されていた。当初私も同じように、憤りと落胆とが入り混じったような感情に苛まれたが、次第にいったい何がこのセットの魅力を目減りさせているのかについて考えを巡らすようになった。そこで、このポストにはそれに対する私なりの回答と、加えてもし私ならどう作っただろうかというアイデアを書き留めておこうと思う。
断っておくと私は当然R&Dの一員でも、何かしらのゲームのデザイナーでもないので、このような行為は無益な妄想でしかない。また、構築やリミテッドを熱心にプレイしている競技プレイヤーでもないので、この日記によってあなたのプレイングや構築技術が向上するわけでもない。しかし、有名プレイヤーの立場に立って試合を観戦するように、デザイナーの立場に立ってデザインを鑑賞するメルヴィン的視点を、星の数ほどあるマジックの楽しみ方のひとつとして楽しんでもらえたらと願っている。
※……http://ch.nicovideo.jp/nagi-mtg/blomaga/ar880647(間違いだらけの「戦乱のゼンディカー」/Everything That’s Wrong with Battle for Zendikar)
BFZとOGW
カードセットとしての戦乱のゼンディカーの失敗とは裏腹に、ブロックとしての戦乱のゼンディカーの評価は、続くゲートウォッチの誓いによって多少なりとも持ち直したことだろう。無色マナという新たなデザイン空間を発掘し、構築級のカードをいくつも生み出した(とはいえ過去のエルドラージの部族カードとの相互作用は、モダン環境で少々やりすぎたきらいがある)。《大いなる歪み、コジレック/Kozilek, the Great Distortion》が非公式に公開された当時、それがフェイクでありえたことも相まって、この新たなマナ・シンボルがユーザーに与えた衝撃は計り知れないものがあった。
ゲートウォッチの誓い発売後の未来から見ると、戦乱のゼンディカーのカードパワーの全体的な低さ、ないし地味さは不可思議なものにすら思える。R&Dが魅力的なカードをデザインする力を失ったわけではない。にもかかわらず隣接するカードセットのデザインにどうしてここまで差がついてしまったのだろうか?
誤解しないでいただきたいのだが、私はなにも、戦乱のゼンディカーのレアカード全てのカードパワーを《難題の予見者/Thought-Knot Seer》レベルに引き上げるべきだと言っているのではない。しかし、たとえば《反射魔道士/Reflector Mage》のような優秀なアンコモンや、リミテッドレベルでの《吸血鬼の特使/Vampire Envoy》のようなデザイン的魅力に富んだカードが戦乱のゼンディカーにもう少しあってもよかったのではないだろうか、そう疑問に思わせるものがこの2つのカードセットの間にはある。
メリットがデメリットに
一般的に、カードパワーの調整はデザインではなくデベロップの役割だと知られている。したがって、戦乱のゼンディカーの失敗は調整段階のデベロップの失敗だと考えることもできるだろう。しかし、デベロップがカードパワーを下げざるをえないようなデザイン的要因があったとしたらどうだろうか?
戦乱のゼンディカーに含まれるメカニズムには、上陸、覚醒、結集、収斂(ゼンディカー側)、欠色、嚥下、昇華者、末裔・トークン(エルドラージ側)がある。私の考えでは、この中で最も問題があるメカニズムは嚥下だ。この、近年追加された中でも屈指の地味なキーワード能力が最も有害である理由は、それが極めて軽微な効果しかもたらさないにもかかわらず基本的にメリット能力だということにある。マジックのプレイヤーはよくマナレシオやコスト・パフォーマンスといったカードの評価基準を口にするが、クリーチャーが一切のデメリット能力なしに多数のメリット能力を持つということは本来ありえない。嚥下を持ったクリーチャーは、それがないクリーチャーよりも極端に強くデザインされるわけにはいかず、結果としてこの能力は単純なデメリット能力のように働いている。
もちろん、R&Dがその点に自覚的だったことも事実だろう。嚥下を持つクリーチャーは現時点で9枚印刷されているが、1マナ1/1の《回収ドローン/Salvage Drone》や《泥這い/Sludge Crawler》をはじめ、《淘汰ドローン/Culling Drone》(2マナ2/2)、《霧の侵入者/Mist Intruder》(2マナ1/2飛行)、青の優秀なコモンとして名高い《水底の潜入者/Benthic Infiltrator》(3マナ1/4アンブロッカブル)などを見れば、マナ効率が平均を下回らないようぎりぎりの線が検討されていることがわかる。
しかし同時に、そのこと自体がこの能力のデザインスペースの狭さを物語ってもいる。タルキール覇王譚でフィーチャーされた楔3色の多色カードや、ゲートウォッチの誓いで登場した無色マナをコストに持つカードがわかりやすい例だが、マジックにはデメリット(これらの場合はコストの捻出しにくさ)が設定されているカードはオーバーパワー気味にデザインしやすいというよく知られた法則がある。したがって、いくら嚥下を持つカードを平均程度のカードパワーでデザインできたとしても、デメリットを口実にハイスペックにデザインされたカードの前に魅力で劣るのは自明なことだ。
しりごみさせるメカニズム
そして嚥下は、何よりも昇華者のために生み出されたメカニズムだ。R&Dはセットの目玉となるエルドラージ側のメカニズムを機能させるために、こうした至極平均的なマナ効率のクリーチャーが戦闘で優位に立てるようにリミテッドのバランスを調整する必要があったものと思われる。
私には、これが戦乱のゼンディカーのカードパワーを押し下げた最も大きな要因だと思えてならない。全くの推測の域を出ないが、これらエルドラージ側の戦略を一瞬で無に帰す恐れのあるカードや戦略は軒並みパワーダウンされ、構築級になる可能性があったカードも一部を除いてリミテッドレベルにまで引き下げられたのではないか、そんなことすら考えている。
それゆえ、意外なことに私はこのセットの他の要素については基本的に肯定的だ。たとえば収斂は、無色のエルドラージと対比するには格好のメカニズムだと思うし、結集も以前の同盟者の能力より実用的なフォーマットになったと思う。これらの問題はパワー・レベルにあり、積極的な調整を許す環境ならばもっと魅力的なものになったことだろう。もしも《タジュールの戦呼び/Tajuru Warcaller》が4マナだったなら? 《待ち伏せ隊長、ムンダ/Munda, Ambush Leader》が同盟者版《ゴブリンの首謀者/Goblin Ringleader》だったとしたら?
昇華者の是非
当然ながら、嚥下を批判するのなら嚥下と昇華者という冗長なシステム自体を問題視するべきだ、という意見もあるだろう。ただ私は先に述べた通り、嚥下以外のメカニズムについては肯定的な見方をしている。メカニズム面で言えば、より下位の戦闘員が上位の戦闘員のための資源を作り出すことは落とし子・トークンとともに登場したエルドラージにとっては自然なことだし、トップダウン的に組織されたエイリアンの軍隊というフレイバーは「スターシップ・トゥルーパーズ(1997)」や「スカイライン(2010)」のようにポピュラーなものだ。
昇華者といえば、WotCがデュエルデッキのプレビュー・カードに《忘却蒔き/Oblivion Sower》を選んだことは正解だったといえる。このカードは戦乱のゼンディカーのエルドラージのテーマとして新たに追放領域を扱うことを明示しており、また、このブロックのストーリーがゼンディカーの領土をめぐるエルドラージとの戦いであることをデザイン的に表現してもいる。
ひとつ問題があるとすれば、このカードのサブタイプに昇華者がないことだ。R&Dは追放領域から墓地に置くカードのみを厳密に昇華者と定義したようだが、私は追放領域を操作するエルドラージのカード全般を昇華者として定義した方が昇華者のデザインの可能性が広がったのではないかと考えている。なぜなら、昇華者は能力のコストの奇妙さと対照的にそれによってもたらされる効果があまりにも平凡で、それがこのセットのデザインを退屈に感じさせる原因のひとつになっているように思えるからだ。
たとえば《霞の徘徊者/Murk Strider》と《精神を掻き寄せるもの/Mind Raker》はそれぞれ大きい《大クラゲ/Man-o’-War》と《貪欲なるネズミ/Ravenous Rats》で、このブロックでなくとも容易にデザイン可能なものだ。《不毛の地の絞殺者/Wasteland Strangler》は構築で最もよく使われた昇華者だが、これも軽い《皮裂き/Skinrender》でしかない。R&Dの面々による記事を見る限り、どうやら彼らはこれらのクリーチャーのフォーマットを作るのに手一杯だったようで、それぞれの昇華者に独創性を持たせるだけの時間的余裕がなかったのだと思われる。
そういった意味で、《忘却蒔き/Oblivion Sower》は(実際には昇華者でないにもかかわらず)デザイン的に最高の昇華者だといえるだろう。単体で完結してもいるが、嚥下によるサポートも受けられる。シナジーにより爆発的なアドバンテージを生み出すこともあるが、それだけでゲームを終わらせるほどではない。何よりも、対戦相手の追放領域の土地・カードを奪うという奇妙なテキストが最高にエルドラージらしい。もしデザイナーが再び昇華者に取り組む機会があるならば、このカードの周囲にあるデザイン空間を掘り起こしてみるべきだろう。
(後編に続く)
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