はじめに
ミラディンの傷跡から数えて実に4つ目の再訪ブロックとなるイニストラードを覆う影ブロックで、クリエイティブはその実力を遺憾なく発揮したと私は思う。とはいえ、過去のイニストラード・ブロックに強い愛着のあるユーザーにとっては、格調高いゴシック・ホラーの次元がB級SF映画さながらの異星人の侵略によって蹂躙されたうえ、この次元に馴染みの薄いプレインズウォーカーたちによるヒーロー物語の舞台にされてしまったと感じられたかもしれず、実際そうした人々の不満の声を聞かなかったわけではない。
しかし私は、結果的に次元の風景を歪めることになったとはいえ、このゴシック・ホラーの次元の再訪において、クリエイティブが推理小説とラヴクラフトの小説という隣接分野に手を伸ばしたことは評価に値すると考えている。そもそも、イニストラードやテーロスといったトップダウン傾向の強い次元は、題材の有限性からして何度も再訪するのに適した次元ではない。もしもイニストラードを厳格なゴシック・ホラーの次元として守り続けるのであれば、未来のどこかの時点でイニストラードには新たに提示するべきものがなくなってしまうだろう。
それゆえ今回のクリエイティブの仕事は、彼らがイニストラードを常に新鮮に感じさせるために、この次元の拡張可能性を示したものだと理解することができるだろう。それは様々な面でかつてのイニストラードを破壊してしまったかもしれないが、同時にこの次元が意外にも多くのテーマに柔軟に対応できるということをユーザーに証明した。私が思うに、イニストラードを覆う影ブロックのクリエイティブ的な成果によって、この次元への再訪(再再訪)可能性は以前にも増して高まったのではないだろうか。
さらに多くの謎を
むしろSOIに関して私が不満に思うのは、推理小説という新たな題材そのものではなく、そのメカニズム的解釈の方だ。手掛かりを得て真実に迫ることは、新たな知識を得ることに類する行為ではあるものの、謎を解くこととカードを引くことを似た体験であると認めることは難しい。以前のポスト※1で私は手掛かりのメカニズム的な美点について褒めたが、だからといってそれを優れたトップダウン・デザインだと思っているわけではない。
ストーリーにおける中心的な謎であるエムラクールの登場がコミュニティによって早々に暴かれてしまったこともあり、私はブロックを通じてこの謎解きという要素をもう少し強調する必要があったと考えている。したがって、このポストではR&Dがわずかに触れるに留まった謎解きという要素を、ゲームプレイの中にメカニズムとして取り入れる方法について考えてみたい。
※1……http://casualmtg.diarynote.jp/201609041659211639/
非マジック的謎
ある意味では、あえて私が導入するまでもなく、マジックというゲームはプレイヤーに謎を解くように要求しているともいえる。目的や意図が特定できないデッキとの対戦はその代表例で、そうしたデッキを前にしたプレイヤーは謎を解く探索者そのものだ。私が最も好きなエピソードはオウリング・ボアにまつわる話で、グランプリ浜松06のカバレージ※2には、この正体不明のデッキがプレイヤーに解明困難な謎として立ちはだかる様子が描かれている。
しかし、特定のカードがデッキに入っているのか否かといった謎は、当然ながら長くは機能しない。謎のデッキは次のゲーム(あるいは次のマッチや次の大会)ではすでに解明された謎であり、継続的に謎であり続けることは難しい。
また、マジックはある種の詰めマジック的な状況によってプレイヤーに謎をもたらすことがある。複雑な相互作用と最適解を持つそのようなパズルはまさに謎と呼ぶにふさわしいが、詰めマジックの良問は毎回必ずプレイヤーの前に現れるわけではなく、再現性に大きな難点がある。
謎をメカニズムとして採用するということは、謎がデザインに応用できる資源でなければならないということだ。きわめて複雑な盤面でしか機能しないカードも、きわめて複雑な盤面を作り出すカードも、どちらもデザインとして成立させるのは難しいだろう。
したがって、仮にSOIにメカニズムとして謎解きを取り入れるのならば、それはマジックの中にあらかじめ存在している謎とは異なったものになると思われる。こうした考えは、すでにマジックが素晴らしく謎に満ちたゲームだと考える人々(私もそうであるつもりだ)には単なる蛇足に感じられるかもしれないが、それでも私はこうした思考実験的なアイデアには最低限のデザイン的意義があると信じている。
私が謎解きのメカニズムに惹かれるのは、マジックというゲームがどこまで多くの要素を内包できるのか、マジックはどこまでマジックであり続けられるのかという、極限の探求に結びついていると思うからだ。その結果としてマジックの新たな側面が発見できたのなら喜ばしいことだし、仮に失敗に終わったとしても(私のデザインが印刷される可能性はありえないのだから)失うものは何もない。
※2……http://magic.wizards.com/en/node/556821(Saturday, April 8: 2:36 P.M. - Round 3 : The Fireball VS. Limit Break)
投資家と探索者
上記の内容から考えると、メカニズムとして使用可能な謎とは、デッキの内容における謎とは反対に継続性を持ち、詰めマジック的な謎とは反対に再現性を持つ必要があるということになる。そして、さらに条件をつけ加えるならば、それはプレイヤーが筋道立てて解くことができるものでなければならない。
マジックには黎明期から実に多くのギャンブル的なカードが存在している。それらはマジックに本来のゲームとは別種の楽しみをもたらすという点で謎解きによく似ているが、謎と違って正解を持たない。《無道の競り/Illicit Auction》のような競りカードや、チキンレースを挑む《ゴブリンのゲーム/Goblin Game》なども同様で、それらはプレイヤーに投資家として有限のリソースを最大効率で利益に変換するよう求めることはあっても、探索者として真実を突き止めさせることはない。もちろん、そうしたカードにも戦略や最善策は存在しているが、戦略上最も有効だと思われる手が必ずしも最高の結果を生むとは限らない。
反対に、謎は必ず解かれるべき答えを持っており、プレイヤーが論理的な力を行使してそれを明らかにすることができなければならない。謎解きの結果は、競りカードやチキンレースのように利益と損失が入り混じった曖昧なものであってはならず、誰の目にも明らかな正解か、誰の目にも明らかな不正解であることが望ましいといえる。
巻物と振り子
ギャンブル的なカードの悩ましさは謎とは別種のものだと述べたが、私は運の要素をすべて否定しているわけではない。探索者は謎を解明する過程で多くの選択肢に直面するが、そうした過程から運の要素が完全に排除されていることはむしろ珍しいと思われる。重要なのは、たとえ結果に運の要素が不可分に関わっていたとしても、プレイヤーに何かしらの有意な選択をする余地が残されていること(少なくともそう感じさせること)だ。
このことは、どちらかというとギャンブル的なカードに属する、よく似た2枚のカードの比較によって理解することができる。
ご覧の通り、この2枚の共通点は不確実な方法で利益を得るアーティファクトだということだ。《呪われた巻物/Cursed Scroll》の運の要素は変化するため、比較のために手札が名前の異なる2枚のカードであると仮定しよう。そうした場合、《呪われた巻物/Cursed Scroll》がダメージを与えることができる確率はちょうど50%になるが、《嘘つきの振り子/Liar’s Pendulum》でカードを引くことができる確率はそうではない。
《嘘つきの振り子/Liar’s Pendulum》のコントローラーが実際には手札に持っていないカードを宣言した場合、対戦相手の予想が不正解ならば手札を公開してカードを引き、正解ならば手札を公開することはなく何も起こらない。対戦相手の予想が正解であった場合にも(すなわち「ない」と予想された場合にも)、手札に存在しないカードの情報は与えてしまうが、そこから類推できる手札の内容はごくわずかなものだ。
逆に、《嘘つきの振り子/Liar’s Pendulum》のコントローラーが実際に手札に持っているカードを宣言した場合、たとえ対戦相手の予想が正解であった場合にも(すなわち「ある」と予想された場合にも)、手札に宣言したカードを持っていると対戦相手に示したことになり、大きな情報のアドバンテージを与えてしまう。
したがって、情報という観点では《嘘つきの振り子/Liar’s Pendulum》のコントローラーが手札に持っていないカードを宣言する動機づけの方が強いため、プレイヤーの選択には若干の偏りが出ることになる。もちろん、対戦相手の予想が不正解でもカードを引かないという選択肢もありうるし、戦場や墓地の公開情報によって宣言の信憑性は変化する。しかし、このわずかな思考の余地は重要であり、それによってプレイヤーは単なるコイン投げ以上の体験を得ることができる。
銀枠的謎
《嘘つきの振り子/Liar’s Pendulum》は多少の謎解きを要求するが、それでも運の要素は依然として強い。そもそもこのカードは謎を完全には解くことができないというジレンマを中心にデザインされており、その挙動が運やブラフに満ちていたとしても当然だといえる。
20年以上のマジックの歴史を見渡しても、筋道立てて謎を解くようにデザインされたカードはほとんど見当たらない。しかし、銀枠世界まで視野を広げればその限りでない。
プレイヤーに腕相撲やにらめっこをさせるアンヒンジドのミニゲーム・カードの中でも、《Head to Head》は優れて謎解き的なカードだ。このカードには運の要素もあるが、6回という質問の数はプレイヤーに筋道立てて謎を解いていると感じさせるのに十分な数だろう。
謎解きの結果もたらされるものはあまりにも地味だが、概ね《Head to Head》は私が求めている謎解きのメカニズムそのものだといってよい。とはいえ、このカードのルール文章は銀枠世界のものなので、競技的なマジックの世界でも運用できるように少々手を加える必要がある。
https://competitive-casual-magic.tumblr.com/post/155126094292/unshadow-over-innistrad-2
《三つの署名/The Sign of Three》は《Ancestral Recall》を謎解きのメカニズムによって調整したカードだ。謎解きの方法は《Head to Head》に近いとも遠いともいえるが、最も大きな違いは質問6回という制限の代わりにマナ・コストが設定されていることだろう。
《Head to Head》のように質問の回数に上限を定めてしまうと、プレイヤーは上限を超えて質問することができない。《Head to Head》はミニゲームの勝敗を決める必要があるカードなので当然だともいえるが、謎が解けずに終わってしまうのは謎解きのメカニズムとしては片手落ちの感が否めない。質問の回数を増やすことは簡単だが、効果の解決のたびに何度も質問をしていたのでは、ゲームがあまりにも長い間中断されてしまう。
したがって、《三つの署名/The Sign of Three》ではマナ・コストという減速装置付きのスイッチを設定し、謎を解くことができるという保証と、ゲームの適切な進行の両立を図った。
謎解きのメカニズムは思考実験だと述べたが、仮にこうしたデザインが印刷された場合に予想される問題は、何よりもトーナメントでのトラブルだろう。カード名の宣言をはじめ、対戦相手が不正確なプレイを行った場合など、ジャッジの仕事が倍増することは想像に難くない。実のところ、こうしたデザインにおける最大の難関は、カードの設計ではなくトーナメントの混乱を防ぐことなのかもしれない。
(後編に続く)
ミラディンの傷跡から数えて実に4つ目の再訪ブロックとなるイニストラードを覆う影ブロックで、クリエイティブはその実力を遺憾なく発揮したと私は思う。とはいえ、過去のイニストラード・ブロックに強い愛着のあるユーザーにとっては、格調高いゴシック・ホラーの次元がB級SF映画さながらの異星人の侵略によって蹂躙されたうえ、この次元に馴染みの薄いプレインズウォーカーたちによるヒーロー物語の舞台にされてしまったと感じられたかもしれず、実際そうした人々の不満の声を聞かなかったわけではない。
しかし私は、結果的に次元の風景を歪めることになったとはいえ、このゴシック・ホラーの次元の再訪において、クリエイティブが推理小説とラヴクラフトの小説という隣接分野に手を伸ばしたことは評価に値すると考えている。そもそも、イニストラードやテーロスといったトップダウン傾向の強い次元は、題材の有限性からして何度も再訪するのに適した次元ではない。もしもイニストラードを厳格なゴシック・ホラーの次元として守り続けるのであれば、未来のどこかの時点でイニストラードには新たに提示するべきものがなくなってしまうだろう。
それゆえ今回のクリエイティブの仕事は、彼らがイニストラードを常に新鮮に感じさせるために、この次元の拡張可能性を示したものだと理解することができるだろう。それは様々な面でかつてのイニストラードを破壊してしまったかもしれないが、同時にこの次元が意外にも多くのテーマに柔軟に対応できるということをユーザーに証明した。私が思うに、イニストラードを覆う影ブロックのクリエイティブ的な成果によって、この次元への再訪(再再訪)可能性は以前にも増して高まったのではないだろうか。
さらに多くの謎を
むしろSOIに関して私が不満に思うのは、推理小説という新たな題材そのものではなく、そのメカニズム的解釈の方だ。手掛かりを得て真実に迫ることは、新たな知識を得ることに類する行為ではあるものの、謎を解くこととカードを引くことを似た体験であると認めることは難しい。以前のポスト※1で私は手掛かりのメカニズム的な美点について褒めたが、だからといってそれを優れたトップダウン・デザインだと思っているわけではない。
ストーリーにおける中心的な謎であるエムラクールの登場がコミュニティによって早々に暴かれてしまったこともあり、私はブロックを通じてこの謎解きという要素をもう少し強調する必要があったと考えている。したがって、このポストではR&Dがわずかに触れるに留まった謎解きという要素を、ゲームプレイの中にメカニズムとして取り入れる方法について考えてみたい。
※1……http://casualmtg.diarynote.jp/201609041659211639/
非マジック的謎
ある意味では、あえて私が導入するまでもなく、マジックというゲームはプレイヤーに謎を解くように要求しているともいえる。目的や意図が特定できないデッキとの対戦はその代表例で、そうしたデッキを前にしたプレイヤーは謎を解く探索者そのものだ。私が最も好きなエピソードはオウリング・ボアにまつわる話で、グランプリ浜松06のカバレージ※2には、この正体不明のデッキがプレイヤーに解明困難な謎として立ちはだかる様子が描かれている。
しかし、特定のカードがデッキに入っているのか否かといった謎は、当然ながら長くは機能しない。謎のデッキは次のゲーム(あるいは次のマッチや次の大会)ではすでに解明された謎であり、継続的に謎であり続けることは難しい。
また、マジックはある種の詰めマジック的な状況によってプレイヤーに謎をもたらすことがある。複雑な相互作用と最適解を持つそのようなパズルはまさに謎と呼ぶにふさわしいが、詰めマジックの良問は毎回必ずプレイヤーの前に現れるわけではなく、再現性に大きな難点がある。
謎をメカニズムとして採用するということは、謎がデザインに応用できる資源でなければならないということだ。きわめて複雑な盤面でしか機能しないカードも、きわめて複雑な盤面を作り出すカードも、どちらもデザインとして成立させるのは難しいだろう。
したがって、仮にSOIにメカニズムとして謎解きを取り入れるのならば、それはマジックの中にあらかじめ存在している謎とは異なったものになると思われる。こうした考えは、すでにマジックが素晴らしく謎に満ちたゲームだと考える人々(私もそうであるつもりだ)には単なる蛇足に感じられるかもしれないが、それでも私はこうした思考実験的なアイデアには最低限のデザイン的意義があると信じている。
私が謎解きのメカニズムに惹かれるのは、マジックというゲームがどこまで多くの要素を内包できるのか、マジックはどこまでマジックであり続けられるのかという、極限の探求に結びついていると思うからだ。その結果としてマジックの新たな側面が発見できたのなら喜ばしいことだし、仮に失敗に終わったとしても(私のデザインが印刷される可能性はありえないのだから)失うものは何もない。
※2……http://magic.wizards.com/en/node/556821(Saturday, April 8: 2:36 P.M. - Round 3 : The Fireball VS. Limit Break)
投資家と探索者
上記の内容から考えると、メカニズムとして使用可能な謎とは、デッキの内容における謎とは反対に継続性を持ち、詰めマジック的な謎とは反対に再現性を持つ必要があるということになる。そして、さらに条件をつけ加えるならば、それはプレイヤーが筋道立てて解くことができるものでなければならない。
マジックには黎明期から実に多くのギャンブル的なカードが存在している。それらはマジックに本来のゲームとは別種の楽しみをもたらすという点で謎解きによく似ているが、謎と違って正解を持たない。《無道の競り/Illicit Auction》のような競りカードや、チキンレースを挑む《ゴブリンのゲーム/Goblin Game》なども同様で、それらはプレイヤーに投資家として有限のリソースを最大効率で利益に変換するよう求めることはあっても、探索者として真実を突き止めさせることはない。もちろん、そうしたカードにも戦略や最善策は存在しているが、戦略上最も有効だと思われる手が必ずしも最高の結果を生むとは限らない。
反対に、謎は必ず解かれるべき答えを持っており、プレイヤーが論理的な力を行使してそれを明らかにすることができなければならない。謎解きの結果は、競りカードやチキンレースのように利益と損失が入り混じった曖昧なものであってはならず、誰の目にも明らかな正解か、誰の目にも明らかな不正解であることが望ましいといえる。
巻物と振り子
ギャンブル的なカードの悩ましさは謎とは別種のものだと述べたが、私は運の要素をすべて否定しているわけではない。探索者は謎を解明する過程で多くの選択肢に直面するが、そうした過程から運の要素が完全に排除されていることはむしろ珍しいと思われる。重要なのは、たとえ結果に運の要素が不可分に関わっていたとしても、プレイヤーに何かしらの有意な選択をする余地が残されていること(少なくともそう感じさせること)だ。
このことは、どちらかというとギャンブル的なカードに属する、よく似た2枚のカードの比較によって理解することができる。
呪われた巻物/Cursed Scroll (1)
アーティファクト TMP, レア
(3),(T):クリーチャー1体かプレイヤー1人を対象とする。カード名を1つ指定する。あなたの手札からカードを1枚、無作為に公開する。そのカードが指定されたカードであった場合、呪われた巻物はそれに2点のダメージを与える。
嘘つきの振り子/Liar’s Pendulum (1)
アーティファクト MRD, レア
(2),(T):カード名を1つ指定する。対戦相手1人を対象とし、そのプレイヤーはあなたの手札にその名前のカードがあるか予想する。あなたはあなたの手札を公開してもよい。もしあなたはそうして、あなたの対戦相手の予想が間違えていた場合、カードを1枚引く。
ご覧の通り、この2枚の共通点は不確実な方法で利益を得るアーティファクトだということだ。《呪われた巻物/Cursed Scroll》の運の要素は変化するため、比較のために手札が名前の異なる2枚のカードであると仮定しよう。そうした場合、《呪われた巻物/Cursed Scroll》がダメージを与えることができる確率はちょうど50%になるが、《嘘つきの振り子/Liar’s Pendulum》でカードを引くことができる確率はそうではない。
《嘘つきの振り子/Liar’s Pendulum》のコントローラーが実際には手札に持っていないカードを宣言した場合、対戦相手の予想が不正解ならば手札を公開してカードを引き、正解ならば手札を公開することはなく何も起こらない。対戦相手の予想が正解であった場合にも(すなわち「ない」と予想された場合にも)、手札に存在しないカードの情報は与えてしまうが、そこから類推できる手札の内容はごくわずかなものだ。
逆に、《嘘つきの振り子/Liar’s Pendulum》のコントローラーが実際に手札に持っているカードを宣言した場合、たとえ対戦相手の予想が正解であった場合にも(すなわち「ある」と予想された場合にも)、手札に宣言したカードを持っていると対戦相手に示したことになり、大きな情報のアドバンテージを与えてしまう。
したがって、情報という観点では《嘘つきの振り子/Liar’s Pendulum》のコントローラーが手札に持っていないカードを宣言する動機づけの方が強いため、プレイヤーの選択には若干の偏りが出ることになる。もちろん、対戦相手の予想が不正解でもカードを引かないという選択肢もありうるし、戦場や墓地の公開情報によって宣言の信憑性は変化する。しかし、このわずかな思考の余地は重要であり、それによってプレイヤーは単なるコイン投げ以上の体験を得ることができる。
銀枠的謎
《嘘つきの振り子/Liar’s Pendulum》は多少の謎解きを要求するが、それでも運の要素は依然として強い。そもそもこのカードは謎を完全には解くことができないというジレンマを中心にデザインされており、その挙動が運やブラフに満ちていたとしても当然だといえる。
20年以上のマジックの歴史を見渡しても、筋道立てて謎を解くようにデザインされたカードはほとんど見当たらない。しかし、銀枠世界まで視野を広げればその限りでない。
Head to Head (白)
インスタント UNH, アンコモン
対戦相手1人を対象とする。そのプレイヤーとあなたは、そのプレイヤーのライブラリーの一番上のカードについて「7つの質問ゲーム」をする。(そのプレイヤーはそのカードを見る。その後あなたはそのカードについて、6回まで「はい」か「いいえ」で答えられる質問をし、そのプレイヤーは正直に答える。その後あなたはそのカードの名前を言い——これが7つ目の質問——、そのプレイヤーはそのカードを公開する)あなたが勝った場合、このターン、あなたが選んだいずれかの発生源からのすべてのダメージを軽減する。
プレイヤーに腕相撲やにらめっこをさせるアンヒンジドのミニゲーム・カードの中でも、《Head to Head》は優れて謎解き的なカードだ。このカードには運の要素もあるが、6回という質問の数はプレイヤーに筋道立てて謎を解いていると感じさせるのに十分な数だろう。
謎解きの結果もたらされるものはあまりにも地味だが、概ね《Head to Head》は私が求めている謎解きのメカニズムそのものだといってよい。とはいえ、このカードのルール文章は銀枠世界のものなので、競技的なマジックの世界でも運用できるように少々手を加える必要がある。
三つの署名/The Sign of Three (青)
エンチャント
あなたはあなたのライブラリーを探せない。
(2):あなたのライブラリーを切り直し、その後、あなたは一番上から3枚のカードを裏向きに追放してもよい。対戦相手1人を対象とする。そのプレイヤーは三つの署名によって追放されたすべてのカードを見て、それらのカードの点数で見たマナ・コストの合計を宣言する。あなたはそれらのカードの名前を推測して宣言する。それが当たっていた場合、三つの署名によって追放されたすべてのカードをオーナーの手札に加え、これを生け贄に捧げる。
https://competitive-casual-magic.tumblr.com/post/155126094292/unshadow-over-innistrad-2
《三つの署名/The Sign of Three》は《Ancestral Recall》を謎解きのメカニズムによって調整したカードだ。謎解きの方法は《Head to Head》に近いとも遠いともいえるが、最も大きな違いは質問6回という制限の代わりにマナ・コストが設定されていることだろう。
《Head to Head》のように質問の回数に上限を定めてしまうと、プレイヤーは上限を超えて質問することができない。《Head to Head》はミニゲームの勝敗を決める必要があるカードなので当然だともいえるが、謎が解けずに終わってしまうのは謎解きのメカニズムとしては片手落ちの感が否めない。質問の回数を増やすことは簡単だが、効果の解決のたびに何度も質問をしていたのでは、ゲームがあまりにも長い間中断されてしまう。
したがって、《三つの署名/The Sign of Three》ではマナ・コストという減速装置付きのスイッチを設定し、謎を解くことができるという保証と、ゲームの適切な進行の両立を図った。
謎解きのメカニズムは思考実験だと述べたが、仮にこうしたデザインが印刷された場合に予想される問題は、何よりもトーナメントでのトラブルだろう。カード名の宣言をはじめ、対戦相手が不正確なプレイを行った場合など、ジャッジの仕事が倍増することは想像に難くない。実のところ、こうしたデザインにおける最大の難関は、カードの設計ではなくトーナメントの混乱を防ぐことなのかもしれない。
(後編に続く)
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