はじめに
2016年9月現在、スタンダードで最もカードを引いているカードは何だろうか? 仮に、各カードごとの全世界累計ドロー枚数を数えている機関がどこかにあったとしたら、その機関はすぐさま《不屈の追跡者/Tireless Tracker》の名前を挙げるだろう。
もしかすると、その機関は答えの後に長い想定反論をつけるかもしれない。この算出結果は《衝動/Impulse》型の呪文のドロー効率を無視して抽出しており、加えてメタゲーム上での緑の支配率が長期にわたって高かったことの影響がどれほどあるかを考慮する必要があり——しかし、グランプリやプロツアーで《不屈の追跡者/Tireless Tracker》が両手で数えることができないほどの手掛かりを積み上げているのを目にすると、かくも強力なドロー性能を持つカードが緑に生まれる時代になったことに驚嘆せずにはいられないのだ。
私が考えるに、軽々とカラー・パイを乗り越えているかに見える《不屈の追跡者/Tireless Tracker》のテキストには、何かしらのデザイン的な達成が含まれている。もちろん《新緑の女魔術師/Verduran Enchantress》や《繁殖力/Fecundity》に代表される誘発型能力によるドローは昔から緑の領分であったし、時のらせんブロックでは《調和/Harmonize》が印刷されもしたが、《不屈の追跡者/Tireless Tracker》が生み出すカードの枚数は、並みの青のドロー呪文の比ではない。
よいデザインでありながらカラー・パイにとらわれないカードの例として、マローは《ドラゴン変化/Form of the Dragon》をよく挙げる。このカードの個々の能力には赤らしくないものも含まれているが、カード全体が意図しているものは非常に赤らしいため、カラー・パイを多少ないがしろにする価値があるというわけだ。
《不屈の追跡者/Tireless Tracker》のドロー性能は確かに緑単色のカードとしては規格外だが、その能力が土地に関係していること、またクリーチャーのサイズを大きくすることからかろうじて緑らしさの内側にいるともいえる。したがって、このカードを《ドラゴン変化/Form of the Dragon》の系譜に位置づけることも決して間違いではないだろう。
しかし、スタンダードで最も強力なドローエンジンが緑のカードとしてデザインされたという背景には、おそらくもう少し複雑なデザイン的な事情が絡んでいる。私の考えでは、手掛かりに隠されているのはデザインにテンポという概念を応用するための方法論だ。これはあくまで仮説にすぎないが、テンポはカード・アドバンテージへの中間地点を作り、本来カードのやりとりが得意でない色にデザイン空間を開きうる。今回のポストの目的はこの私の曖昧な直感をどうにかして形にすることにある。
マジックワード
先に断っておくと、私が考えているのはあくまでカードのデザインにおけるテンポの活用方法であって、ゲームプレイの中でテンポを駆使して勝利に近づく方法ではない。まして私は店舗大会やPPTQに足しげく通うようなプレイヤーではないため、この記事を読んだあなたをプレイヤーとして新たな段階に導くことはできそうにない。それどころか、テンポという言葉の定義すら行わないつもりだ。
テンポという概念に対しては、プロプレイヤーからも批判的な意見が絶えない。それがあまりに抽象的で無秩序に使われていることから、テンポという言葉をマジックワードだとする声もある。インターネット上にはテンポの定義に終止符を打つ、と銘打たれた文章がいくつも存在しているはずだが、そうした文章が乱立しているということ自体が、この語を定義することの難しさを逆説的に表している。
しかし、(私を含む)テンポという言葉を使うユーザーは、その言葉が未定義であるにもかかわらず、それを使って思考しているきらいがある。不思議に思えるかもしれないが、それはある意味では当然のことだ。そもそも言葉を発する際にその辞書的な意味を常に念頭に置いている人などありえないし、文脈によって言葉の意味するところが事後的に決まることも珍しくない。
トートロジーになってしまうが、テンポとは何か、という問いに対する最も真実に近い答えは、ユーザーがテンポと認識しているものの総体だ、ということになるだろう。その正体がいかにつかみどころのないものだったとしても、ユーザーはゲームプレイの中にテンポと呼ばれるものがあることを実感しており、言語による定義はあくまでそれの代替物にすぎない。
専門的な検証は言語学の徒に任せるとして、ともかくこのポストでは、テンポという言葉を前もって定義することは控えさせていただきたい。テーマになっている言葉を説明しないというのはあまりに不親切かもしれないが、私が伝えたいことを通して概念を帰納的に表現する方が、この語の実際の使われ方に即しているといえる※。
※……とはいえ、世界選手権での優勝経験もある彌永淳也選手の定義は参考になるかもしれない。https://twitter.com/junyaiyanaga/status/755808268295954432
テンポを失いカード・アドバンテージを得る
デザインの常として、強力なカードの発明は新たなデメリットの発明と不可分の関係にある。《難題の予見者/Thought-Knot Seer》はかつてないほど強力な4マナ域のクリーチャーだが、それはこのカードがマナベースに与える負担が前代未聞のものだからに他ならない。
では、はたして《不屈の追跡者/Tireless Tracker》が抱えるデメリットとは何だろうか? すでに示唆していることだが、私はそれをテンポの悪さだと考えている。このクリーチャーは生き残りさえすれば無尽蔵にカード・アドバンテージを稼ぎ続けるが、そのマナ効率は格別優れたものではない。冒頭に記したように《不屈の追跡者/Tireless Tracker》が大量の手掛かりを積み上げることは珍しくないものの、それは2マナを支払って1枚の手札を得るべきタイミングがなかなか訪れないためでもある。
つまるところ、この軽い緑のクリーチャーにカラー・パイを超越したドロー性能が与えられている理由は、生み出した手がかりがカードになるまでに時間を要するからなのだ。R&Dの面々が本当にそう考えていたかどうかはさておき、《不屈の追跡者/Tireless Tracker》はデザインにおいてテンポがデメリットとして活用できることを証明したカードだといえるだろう。
このテンポというデメリットが重要な理由は、それが基本的にカラー・パイに依存していないことにある。カード・アドバンテージはその獲得方法も含めてかなり厳密にカラー・パイに結びけられているが、テンポを得たり失ったりすることはあらゆる色で平等に起こりうる。私はカラー・パイの乗り越えが無制限に起こるべきだとは思わないが、その色が得意でないことをテンポを使って書き換えることは、新たなカードを生み出すためのひとつの方法だと思っている。
0.5枚のドロー
デザインにテンポを導入するもうひとつの利点は、パワー・レベルの調整の容易さだ。このことは、《不屈の追跡者/Tireless Tracker》によく似た別のカードとの比較によっていっそう明確になるだろう。
厳密には《どん欲の角笛/Horn of Greed》は《不屈の追跡者/Tireless Tracker》とは似ていないので、能力の誘発条件が自分の土地限定だったならと仮定してほしい。最終的に得られる手札の枚数だけを見ればこれら3枚は全く同じだが、能力の利便性には明確な序列が存在する。《どん欲の角笛/Horn of Greed》が土地をプレイするだけで1枚の手札を得ることができるのに対し、他の2枚はマナを必要とする。《不屈の追跡者/Tireless Tracker》と《予見者の日時計/Seer’s Sundial》は要求するマナの数は同じだが、任意のタイミングでカードを引ける前者の方がテンポを無駄にすることは少ない。
端的に言えば、《不屈の追跡者/Tireless Tracker》は《どん欲の角笛/Horn of Greed》よりもテンポが悪く、《予見者の日時計/Seer’s Sundial》よりはテンポがよいということになる。すなわち、テンポに代表される時間のアドバンテージはカードで表されるアドバンテージよりも不定形で幅があり、そのためパワー・レベルに差をつけることが容易なのだ。これら3枚の例では、同じ1枚のカード・アドバンテージの間にすら、テンポという観点でははっきりとグラデーションが設けられている。
整数に支配されたマジックの世界では、残念なことに1枚のドローより格下のドロー呪文を印刷することはできない(あるいは、最近流行のオンラインカードゲームであれば0.5枚のドローも実装可能かもしれない)。しかし、1枚のドローのマナ効率やタイミングを調整することで、それを適切なパワー・レベルに設定することはできる。テンポをデザインに応用することは、本来紙のマジックでは表しえない小数点以下のカード・アドバンテージを擬似的に表現する手段だともいえる。
余談になるが、「カードを引く」と(手掛かりのような)「カードを引ける」の間には、テンポの他にも情報の差が存在する。当たり前のことだが、「カードを引く」ことが戦略上の有意義な選択肢を増やすのに対し、「カードを引ける」ことはそうではない。《不屈の追跡者/Tireless Tracker》を使ったことがあるプレイヤーなら誰しも、厳しい盤面で2マナを支払って打開策を探しに行くか、手札にあるカードを使って延命するかという答えのない選択肢に直面したことがあるはずだ。
通常、手札のカードよりもライブラリーの上が強い可能性は誰にもわからない。「カードを引く」ことによって手札に加えられたカードがオーナーから見えるのとは対照的に、「カードを引ける」ことになっている裏向きのライブラリーは戦略的な情報を全く与えてくれないのだ。このことを考慮すると、《不屈の追跡者/Tireless Tracker》や《予見者の日時計/Seer’s Sundial》の能力は、1枚のドローからテンポだけでなく公開情報までをも取り去ったものだと考えることができるだろう。たとえて言うなら、それらは商品を直接渡してくれるのではなく、中身のわからない商品を買うことができるチケットを渡すカードなのだ。
(後編に続く)
2016年9月現在、スタンダードで最もカードを引いているカードは何だろうか? 仮に、各カードごとの全世界累計ドロー枚数を数えている機関がどこかにあったとしたら、その機関はすぐさま《不屈の追跡者/Tireless Tracker》の名前を挙げるだろう。
もしかすると、その機関は答えの後に長い想定反論をつけるかもしれない。この算出結果は《衝動/Impulse》型の呪文のドロー効率を無視して抽出しており、加えてメタゲーム上での緑の支配率が長期にわたって高かったことの影響がどれほどあるかを考慮する必要があり——しかし、グランプリやプロツアーで《不屈の追跡者/Tireless Tracker》が両手で数えることができないほどの手掛かりを積み上げているのを目にすると、かくも強力なドロー性能を持つカードが緑に生まれる時代になったことに驚嘆せずにはいられないのだ。
私が考えるに、軽々とカラー・パイを乗り越えているかに見える《不屈の追跡者/Tireless Tracker》のテキストには、何かしらのデザイン的な達成が含まれている。もちろん《新緑の女魔術師/Verduran Enchantress》や《繁殖力/Fecundity》に代表される誘発型能力によるドローは昔から緑の領分であったし、時のらせんブロックでは《調和/Harmonize》が印刷されもしたが、《不屈の追跡者/Tireless Tracker》が生み出すカードの枚数は、並みの青のドロー呪文の比ではない。
よいデザインでありながらカラー・パイにとらわれないカードの例として、マローは《ドラゴン変化/Form of the Dragon》をよく挙げる。このカードの個々の能力には赤らしくないものも含まれているが、カード全体が意図しているものは非常に赤らしいため、カラー・パイを多少ないがしろにする価値があるというわけだ。
《不屈の追跡者/Tireless Tracker》のドロー性能は確かに緑単色のカードとしては規格外だが、その能力が土地に関係していること、またクリーチャーのサイズを大きくすることからかろうじて緑らしさの内側にいるともいえる。したがって、このカードを《ドラゴン変化/Form of the Dragon》の系譜に位置づけることも決して間違いではないだろう。
しかし、スタンダードで最も強力なドローエンジンが緑のカードとしてデザインされたという背景には、おそらくもう少し複雑なデザイン的な事情が絡んでいる。私の考えでは、手掛かりに隠されているのはデザインにテンポという概念を応用するための方法論だ。これはあくまで仮説にすぎないが、テンポはカード・アドバンテージへの中間地点を作り、本来カードのやりとりが得意でない色にデザイン空間を開きうる。今回のポストの目的はこの私の曖昧な直感をどうにかして形にすることにある。
マジックワード
先に断っておくと、私が考えているのはあくまでカードのデザインにおけるテンポの活用方法であって、ゲームプレイの中でテンポを駆使して勝利に近づく方法ではない。まして私は店舗大会やPPTQに足しげく通うようなプレイヤーではないため、この記事を読んだあなたをプレイヤーとして新たな段階に導くことはできそうにない。それどころか、テンポという言葉の定義すら行わないつもりだ。
テンポという概念に対しては、プロプレイヤーからも批判的な意見が絶えない。それがあまりに抽象的で無秩序に使われていることから、テンポという言葉をマジックワードだとする声もある。インターネット上にはテンポの定義に終止符を打つ、と銘打たれた文章がいくつも存在しているはずだが、そうした文章が乱立しているということ自体が、この語を定義することの難しさを逆説的に表している。
しかし、(私を含む)テンポという言葉を使うユーザーは、その言葉が未定義であるにもかかわらず、それを使って思考しているきらいがある。不思議に思えるかもしれないが、それはある意味では当然のことだ。そもそも言葉を発する際にその辞書的な意味を常に念頭に置いている人などありえないし、文脈によって言葉の意味するところが事後的に決まることも珍しくない。
トートロジーになってしまうが、テンポとは何か、という問いに対する最も真実に近い答えは、ユーザーがテンポと認識しているものの総体だ、ということになるだろう。その正体がいかにつかみどころのないものだったとしても、ユーザーはゲームプレイの中にテンポと呼ばれるものがあることを実感しており、言語による定義はあくまでそれの代替物にすぎない。
専門的な検証は言語学の徒に任せるとして、ともかくこのポストでは、テンポという言葉を前もって定義することは控えさせていただきたい。テーマになっている言葉を説明しないというのはあまりに不親切かもしれないが、私が伝えたいことを通して概念を帰納的に表現する方が、この語の実際の使われ方に即しているといえる※。
※……とはいえ、世界選手権での優勝経験もある彌永淳也選手の定義は参考になるかもしれない。https://twitter.com/junyaiyanaga/status/755808268295954432
テンポを失いカード・アドバンテージを得る
デザインの常として、強力なカードの発明は新たなデメリットの発明と不可分の関係にある。《難題の予見者/Thought-Knot Seer》はかつてないほど強力な4マナ域のクリーチャーだが、それはこのカードがマナベースに与える負担が前代未聞のものだからに他ならない。
では、はたして《不屈の追跡者/Tireless Tracker》が抱えるデメリットとは何だろうか? すでに示唆していることだが、私はそれをテンポの悪さだと考えている。このクリーチャーは生き残りさえすれば無尽蔵にカード・アドバンテージを稼ぎ続けるが、そのマナ効率は格別優れたものではない。冒頭に記したように《不屈の追跡者/Tireless Tracker》が大量の手掛かりを積み上げることは珍しくないものの、それは2マナを支払って1枚の手札を得るべきタイミングがなかなか訪れないためでもある。
つまるところ、この軽い緑のクリーチャーにカラー・パイを超越したドロー性能が与えられている理由は、生み出した手がかりがカードになるまでに時間を要するからなのだ。R&Dの面々が本当にそう考えていたかどうかはさておき、《不屈の追跡者/Tireless Tracker》はデザインにおいてテンポがデメリットとして活用できることを証明したカードだといえるだろう。
このテンポというデメリットが重要な理由は、それが基本的にカラー・パイに依存していないことにある。カード・アドバンテージはその獲得方法も含めてかなり厳密にカラー・パイに結びけられているが、テンポを得たり失ったりすることはあらゆる色で平等に起こりうる。私はカラー・パイの乗り越えが無制限に起こるべきだとは思わないが、その色が得意でないことをテンポを使って書き換えることは、新たなカードを生み出すためのひとつの方法だと思っている。
0.5枚のドロー
デザインにテンポを導入するもうひとつの利点は、パワー・レベルの調整の容易さだ。このことは、《不屈の追跡者/Tireless Tracker》によく似た別のカードとの比較によっていっそう明確になるだろう。
どん欲の角笛/Horn of Greed (3)
アーティファクト STH, レア
プレイヤー1人が土地をプレイするたび、そのプレイヤーはカードを1枚引く。
予見者の日時計/Seer’s Sundial (4)
アーティファクト WWK, レア
上陸 ― 土地が1つあなたのコントロール下で戦場に出るたび、あなたは(2)を支払ってもよい。そうした場合、カードを1枚引く。
厳密には《どん欲の角笛/Horn of Greed》は《不屈の追跡者/Tireless Tracker》とは似ていないので、能力の誘発条件が自分の土地限定だったならと仮定してほしい。最終的に得られる手札の枚数だけを見ればこれら3枚は全く同じだが、能力の利便性には明確な序列が存在する。《どん欲の角笛/Horn of Greed》が土地をプレイするだけで1枚の手札を得ることができるのに対し、他の2枚はマナを必要とする。《不屈の追跡者/Tireless Tracker》と《予見者の日時計/Seer’s Sundial》は要求するマナの数は同じだが、任意のタイミングでカードを引ける前者の方がテンポを無駄にすることは少ない。
端的に言えば、《不屈の追跡者/Tireless Tracker》は《どん欲の角笛/Horn of Greed》よりもテンポが悪く、《予見者の日時計/Seer’s Sundial》よりはテンポがよいということになる。すなわち、テンポに代表される時間のアドバンテージはカードで表されるアドバンテージよりも不定形で幅があり、そのためパワー・レベルに差をつけることが容易なのだ。これら3枚の例では、同じ1枚のカード・アドバンテージの間にすら、テンポという観点でははっきりとグラデーションが設けられている。
整数に支配されたマジックの世界では、残念なことに1枚のドローより格下のドロー呪文を印刷することはできない(あるいは、最近流行のオンラインカードゲームであれば0.5枚のドローも実装可能かもしれない)。しかし、1枚のドローのマナ効率やタイミングを調整することで、それを適切なパワー・レベルに設定することはできる。テンポをデザインに応用することは、本来紙のマジックでは表しえない小数点以下のカード・アドバンテージを擬似的に表現する手段だともいえる。
余談になるが、「カードを引く」と(手掛かりのような)「カードを引ける」の間には、テンポの他にも情報の差が存在する。当たり前のことだが、「カードを引く」ことが戦略上の有意義な選択肢を増やすのに対し、「カードを引ける」ことはそうではない。《不屈の追跡者/Tireless Tracker》を使ったことがあるプレイヤーなら誰しも、厳しい盤面で2マナを支払って打開策を探しに行くか、手札にあるカードを使って延命するかという答えのない選択肢に直面したことがあるはずだ。
通常、手札のカードよりもライブラリーの上が強い可能性は誰にもわからない。「カードを引く」ことによって手札に加えられたカードがオーナーから見えるのとは対照的に、「カードを引ける」ことになっている裏向きのライブラリーは戦略的な情報を全く与えてくれないのだ。このことを考慮すると、《不屈の追跡者/Tireless Tracker》や《予見者の日時計/Seer’s Sundial》の能力は、1枚のドローからテンポだけでなく公開情報までをも取り去ったものだと考えることができるだろう。たとえて言うなら、それらは商品を直接渡してくれるのではなく、中身のわからない商品を買うことができるチケットを渡すカードなのだ。
(後編に続く)
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